伯父が重篤!の報を受けて急きょ日本へ飛んだ。札幌だったので、飛行機の乗り継ぎはスムーズだった。岩手の実家へは列車の乗り継ぎが悪いのであきらめる旨、伝えた。伯父は着いた翌朝みまかった。娘一人では何かと大変だからと伯父のはからいで、呼ばれたと思った。父と弟、被災地久慈市に住む叔父夫婦にも会うことができた。
 急な出発で準備もままならず、とにかく不足しているというフラッシュライトや乾電池、常温保存できる豆腐や保存食など近くのマーケットで購入した。幸い実家は被害はなかったが、マーケットの棚にはヨーグルトや納豆、豆腐などの姿はなく、大きな余震の後は停電もあるので、フラッシュライトは必需品だが、店にはないということだった。ガソリンや灯油が不足していて、寒さ対策、入浴に不便をきたしたと言っていた。
 告別式を終え、一日空いた日を苫小牧の知人を訪ねた。乗ったタクシーの運転手が、「震災の後、被災地じゃないのに何もかも落ち込んで、ひどいものです」と言った。ちょうど、歓送迎会・花見のシーズンだったのに自粛ムードでキャンセル、キャンセル。小さい店は潰れているし、そんな按配だから活気がありません。被災地の支援もできませんよ、と。
 被災地岩手の蔵元が、経済二次被災にならないよう「ハナ・サケ・ニッポン」被災地東北のお酒を飲みましょう! というキャンペーンを張った。募金活動の場に立ち寄った大阪からの旅行者が、勇気ある発言でしたと言った。瓶や箱を注文するだけでも何かが動く。流通を活性化させないと経済は停滞するばかり。停滞は被災地支援の力にはならない。痛みを分かちながらも、元気がなければ復興などできない。
 帰りの飛行機に被災地支援から戻るアメリカ人消防士四人が乗り合わせた。福島のいわきで二週間活動して、寒くて風邪を引いたという。「ありがとう」を伝えたくて、急いで折り紙でかぶとを作った。手渡すと頭にかぶとを載せて、「Origami!」と笑って応えた。世界中から支援が寄せられている。私たちも、活性化の道を探りながら、元気でがんばろう! そう思った。【大石克子】

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