猛暑を極めた夏の名残りも9月のお彼岸を過ぎると嘘のように引いてゆき、各地に甚大な被害をもたらした台風15号とともに去っていった。
 9月の中秋の名月には、うさぎの折り紙を両側に、お団子と梨やブドウを供え、お銚子を一本立てた。残念ながらお月見の象徴・すすきの姿はない。今年は残暑の影響ですすきが遅れたのだ。
 渋谷からの帰り、ひと駅手前で電車を降りて迎えに来た妻と家路までの散歩を楽しむ。
 だらだら坂を下りる途中の土手にはたくさんのすすきが風に揺れている。
 今夜は月が出ても出なくてもお月見を楽しもうと3本のすすきを手折る。急速な秋の深まりは人を自然への思いにいざなう。
 秋といえば読書の秋である。イギリスに産業革命が起き、人々の生活は急速に変わり始めたころ、蒸気で走る列車が登場した。
 蒸気列車が物珍しさから生活に組み込まれ始め、紳士も一般乗客と共に列車に乗る機会が増えた。五木寛之氏によると、紳士が一般庶民と同席したときに目を合わす居心地の悪さから救ったのがこれまた産業革命の産物である活版印刷であったという。
 それまでの本は一枚一枚が人の手による写本、大きくて貴重な本は本があるところに人がいって読むものだったという。活版印刷で手軽に手に入る本は車内でも読める。手元に本を広げるということは、「私はいま自分の世界に浸っています」という宣言なのだそうだ。
 そういえば電車の中でおおっぴらにお化粧をする女性が珍しくなくなった。
 バッグを開けてマスカラを塗り頬紅をはき、口紅で仕上げる女性の真剣な顔は自分の世界に没頭している。そこはまったく自分だけの世界、周りの人たちも電車の中であることも意識からは消えているのだろう。
 昔から剣の達人も音楽の名手も禅のお坊さんも諸々の雑念から放たれて如何に無我の境地に至るかに腐心してきた。もしかしたらこの女性たちは衆人環視の中で即座に無我の境地に至れる悟りを開いた人たちかも知れない…。
 まったく「秋はものをぞ思わせる」である。高尚とはいえぬ物思いであるのが残念だが。【若尾龍彦】

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