元日の朝、私は一路サンクレメンテに向けてドライブする。空はみるみる晴れ渡り、ガラス窓の向こうに潮風を感じる。太陽熱で温まった車の中で心穏やか。こんな元旦がもう10年以上続いている。座席には数日がかりで作ったおせちのお重。おせちパーティーの友人宅ではすでに先着の友人たちがお膳を整え、中央には手作りの自慢の品々が並んでいる。台所ではお餅を焼いて雑煮の用意。
 今日はアメリカ人の夫抜きで、日本人妻たちが心置きなく日本語を話し、懐かしいおせち料理を十二分に楽しむ特別の日だ。何十年も前に離れた心の中の日本と一年に一度、再会する。子供たちが小さかった頃、日本のお正月の意味を、おせち料理の意味を、正しく伝えたい、という動機から5—6人の日本人妻たちが家族で集まって始めた。それがもう40年も続いている。
 当時は日本食材を集めるのも大変。やっと探してきた黒豆を煮、小魚を見よう見真似で田作りもどきにしてみたり。失敗作ばかりだった。それでもそれを笑いながら皆で食べたそうだ。40年の間には夫々の人生に山あり谷あり。そして子供は巣立ち、親だけが残った。世間は様変わりし、今は日系スーパーでおせち料理は何でも揃う。しかし、彼女たちは相変わらず、頑固に、自分で作った彼女たちのおせち料理で正月を祝う。
 私の子供時代は日本ではまだ数え年が用いられ、お正月は皆が一斉に一つ歳を取る、おめでたい皆の誕生日だった。その誕生日に家族に幸せを運んで下さる歳神様に供える料理がおせち料理だと教わった。両端が丸い祝箸を用意する。片方を神様、片方を人が使って神様へのお供えのお料理を一緒に頂く。神人共食。
 歳神様、新しい年にどうか私たちに幸せを運んで来て下さい。未曾有の天災に全身全霊で耐えている日本に、どうか幸せを運んで来て下さい。心の故郷日本に向けてアメリカから日本人妻たちは祈りながらおせち料理を頂く。
 皆さまの一年のご多幸を切に祈念致します。【萩野千鶴子】

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