かつて佐渡ヶ島を訪れたことがありました。鬼太鼓(おんでこ)の力強い太鼓の音や、佐渡おけさのゆったり感が範唱される中、船底から覗く透明な海の色から、この土地の奥深さを感じました。
 数ある日本の伝統色のひとつでもある朱鷺色とは、朱鷺の風切り羽の色だそうです。しかしながら、この紫に近い淡いピンク色が空に染まる時があったことを想像することはできませんでした。かつて日本のどこにでも存在し、日本の故郷の風景を彷彿とさせた朱鷺は、もはやここ佐渡ヶ島に絶滅を静かに待つようにひっそりと生息していました。
 1820年代の日本には多くの朱鷺が大空を舞っていたようで、当時出島の商館医であったシーボルトが朱鷺の標本をオランダに送り、これをアイビス・ニッポンと命名したのがはじめのようで、その後1850年代にニッポニア・テミンクという学名がついていました。その後、この二つの名前を掛け合わせた学名としてニッポニア・ニッポンというのが、朱鷺の現在の学名となりました。ニッポニアという意味は、ラテン語で日本の、という意味で、日本にしかいない鳥であることを世界に紹介したかったのだ、という説があります。
 この日本産の朱鷺がいったん全滅し、その後中国産の朱鷺の繁殖に成功し、日本の空を羽ばたくようになりました。日本人がかつて、大陸や半島や周りの島国からたどり着いて、その美しい国を作り上げたように、朱鷺も大陸から日本に同化し、その美しい羽を日本の里山に羽ばたかせているのです。これをニッポニア・ニッポンと呼べないはずはありません。
 私たちが朱鷺を思うときの感覚は、日本を思うときの感覚に近いものがあります。であれば朱鷺同様、日本という国も悲観した衰退の将来を思うのではなく、明るく素晴らしい未来を想像すべきです。そこから希望と奇跡が生まれます。【朝倉巨瑞】

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