思い立って、レーバーデーウィークエンドにフレスノ近郊を訪問した。果樹の緑の並木の間を走るのは気持ちよかった。果てしなく続く果樹畑、時折、車や農耕車両が巻き上げる土ぼこりを見て、懐かしい景色だと思った。と同時に、果樹やとうもろこしの摘み取りは容易なことではない。そんなことを思いながら着いた夜に、大きな白桃を頂いた。LAに来てから、大好きだが思うように出会えない白桃を目の前にして、感激した。
 翌朝、ホテルの窓から日の出を見ることができた。早起きは三文の徳、とはこのことか。山から昇る太陽を見るのは久しぶりだった。澄んでひんやりとした空気を存分に吸って、人間らしさを取り戻したといったら大げさだろうか。
 しばらく、喧騒の中で忙しく自分が何をしているのだろうか、と思う半年を過ごした後だけに、つかの間平穏を感じた。当たり前のことをそんなにも、と思うかもしれないが、当たり前を何も感じずに通り過ぎていることもあろう。日が昇って明るくなる、日が落ちて暗くなる、そして月や星が輝いて見える、当たり前のことを見過ごしている日々を過ごしていることがあるだろう。
 「田舎は退屈でしょう」という人もいるが、そこに暮らしている人でも、毎日外に椅子を出して星空を眺めているという人がいた。刺激が多ければ、繁華街の賑わいがあれば、物が豊富であればだけでは満たされないものがあるように思う。自然の静寂が平穏な日常と心に戻してくれるように思う。
 休む間がなかったけれど、LA七夕で引き合わされた人たちのことを思うと、ご縁を感じる。繋がる関係があり、支援が広がってもいく。ありがたいご縁をいただきながら、不義理もした。徐々にでも平安を取り戻して、関係回復ができたらと思った。
 日本人、日系人がずっと以前から住んでいたと思われるフレスノのスーパーマーケットには日本食の種類が存外に少なかった。住人は、工夫を凝らして職人顔負けの菓子でも何でも作る。人と人が手を取り合って、厳しい自然の中で、日々を営々と築いている。この何でもないような積み重ねこそ大事なのだと思えた。【大石克子】

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