多くの支援を得て、大勢の来場者で賑わったバザー
 日本の遺児支援団体「あしなが育英会」が、建設を進める東日本大震災の遺児の心のケア施設「東北レインボーハウス」の資金捻出のためのバザーが16日、アーバインのヤマハ音楽教室で行われた。オレンジ郡の女性有志8人で組織するボランティアグループ「Rainbow from LA」(藤田喜美子代表)が、昨年に次ぎ震災から2年に合わせ開催し、売り上げの約5000ドルを贈る。
 同グループは、震災発生1年の昨年結成し、同所でバザーや音楽公演、講演会などを行い義援金を集めた。震災遺児が2000人以上いることから、支援先を同育英会に絞り、今年のバザーは「震災を風化させてはならない」と意気込み、他のさまざまな団体からの支援を受けた。
バザーを盛り上げたかわいいフラガール
 会場には、20ブースが並んだ。手作りの弁当、丼物、お茶、コーヒー、野菜、ドレッシング、漬物、惣菜、くだもの、クッキーなどの食品や宝石、アクセサリー、衣服、着物など、スタッフが販売に努めた。これらは、企業や個人が提供し、物品だけではなく、フラダンスや指笛演奏、講演会「被災地は今」、映画「Living in Japan」、占い、マッサージなど、さまざまなプログラムやサービスが紹介され、好評だった。
 ボランティアとして忙しく働いた早大2年生でUCアーバインの交換留学生、岡田海都さんは、日本で被災地を支援する学生グループ「UT―Aid」に所属する。「初めて被災地を見た衝撃が忘れられない。他人事だと思っていたけど、行ってみて初めて被害の凄さが分かった」と、支援の必要性を説く。約1年半で20回以上被災地に赴き、避難所だった公民館などに寝泊まりしながら、その町の被害状況に応じて活動方法を変えた。宮城・気仙沼では瓦礫の撤去に始まり、溝に溜まった泥を除去し、商店街の再開にも貢献する一方で、観光業の東松島に移り海辺の清掃に明け暮れるなど、各所の復興に携わってきた。
米澤義人・宮城県人会会長(左)から、ねぎらいの言葉を掛けられたボランティアの岡田さん
 9月に来米して以来、被災者の役に立てないことに、もどかしさを感じていたという。だが、この日は、他のボランティアとともに精力的に働き、被災地の写真数枚を大きく伸ばしたポスターを展示し「アメリカ人に被災地の現状を知ってもらうために、とてもいい機会だった」と話した。イベントではまた、南加宮城県人会会長の米澤義人さんと会、支援の方法などの意見を交わした。米澤さんから「われわれの故郷のために頑張ってくれ、ありがとう」「若いのに立派で、頼もしい」などと、ねぎらいの言葉を掛けられた。
 岡田さんは、10日にロサンゼルス市警で開かれた震災2年の追悼式に参列し「国籍を問わずに祈ってくれて、うれしかった」と喜んだ。「被災者は震災の風化を恐れている」と強調。参加者から寄せ書きを集め、LAの人々の思いを届け、被災者の心を癒す考えだ。5月にはUCアーバイン大で、自身と友人の報道写真家が撮影した作品を紹介する共同写真展を開催するといい、準備に取りかかっている。
 代表の藤田さんは、企業や個人からの多大な寄付や団体からの支援、ボランティアスタッフの活躍に対し「1人ではできないこと。仕事をしながら準備に取りかかってくれた皆の協力があってこそできた」と謝意を表した。特にUCアーバインとアーバイン・バレーカレッジの日本語クラスの生徒の頑張りを絶讃。人々の震災に対する意識が薄れていくことを懸念し「自分たちのできる範囲でこれからもバザーや音楽公演、講演会などを開いて、孤児を助けたい」と、支援の継続に意欲を示した。藤田さんは今年、オレンジ郡日系協会の会長に就任し、他の日系諸団体と手を組んだ被災者支援を考えているという。【永田潤、写真も】

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