エオラス号で帆走練習中の岩本さん(左)と航海の同乗者、ニュースキャスターの辛坊さん
 たとえ目が見えなくても大海原を航海したい。サンディエゴ在住のブラインドセーラー、岩本光弘さん(46)は6月8日、大阪からサンディエゴ港にむけておよそ9000キロの「ヨットでの太平洋横断」に挑戦する。全盲のセーラーが太平洋を横断するのは世界初。岩本さんの航海への意気込みとその意義を聞いた。

「太平洋横断」という夢の実現に向けガッツポーズをとる岩本さん
 岩本さんは1966年、熊本県天草市で生まれた。先天性の弱視をもって生まれた岩本さんは、13歳の時から徐々に視力を失い、その後3年間で残存視力を失った。
 じわじわと視界が薄れゆく中、恐怖と絶望に打ちひしがれる日々。「どうして自分を生んだんだ」。母親にそんな言葉を吐き捨て、天草の海に身を投げようとしたこともあった。
 しかし逆境の中岩本さんは思った。1度きりの人生、たとえ目の光を失っても、希望の光は失わない。これから続く人生を前向きに生きることを心に誓った。
 熊本県立盲学校で鍼灸を学んだ後、奨学金を得て単身サンフランシスコ州立大学に留学、特殊教育学を学んだ。筑波大学理療科教員養成施設を経て、26歳の時に同大学付属盲学校の鍼灸手技療法科の講師になった。
 その後、日本で知りあった米国人の妻カレンさんと30歳の時に結婚。子宝にも恵まれ、2人の間には娘リナさん(7歳)がいる。現在はセーリングの聖地サンディエゴに移住し、「指針術(手で行う鍼治療)」という独自の施術を行う治療院を営んでいる。

ヨットとの出会い

 結婚後、岩本さんとカレンさんは千葉県稲毛海岸に住んでいた。2人が海岸を散歩していたある日、稲毛ヨットハーバーを見つけた。高校時代にセーリングをしていたカレンさんは「一緒にセーリングがしたい」と岩本さんを誘った。「その時、ハーバーのレンタルボートを借りて海に出たのが僕の最初のセーリングになりました」
 その後、同ハーバーを拠点に、障害者と健常者が一緒にセーリングを楽しむための活動をする「ヨットエイド千葉」の存在を知り、本格的にセーリングを開始。「大海原を操船して遠くまで行けるのがヨットの醍醐味」。以来、その魅力に夢中になっていった。
 2006年には日本視覚障害セーリング協会が組織する日本代表チームのヘルムスマン(舵をとる人)のひとりとして世界選手権に出場。これまでに、日本、米国での外洋レースを含め数多くのレースに参加している。

メインセールをあげる岩本さん
被災地への思い

 岩本さんは6月8日に大阪を出港。16日に福島県小名浜港を経由し、8月5日から10日にサンディエゴのマリオットマーキース・マリーナに到着する予定となっている。自分の夢のスタート地点に福島を選んだのは、「震災を風化させたくないから」。
 マラソンにも挑戦している岩本さんは、昨年3月11日に行われた第1回サンディエゴ・ハーフマラソンで、東日本大震災の被災者への思いを胸に完走した。
 「福島の子どもたちの力になりたい」。マラソンや今回の航海でも、震災で船が流された福島県立いわき海星高校に船を寄贈するための募金活動を行っている。

夢への挑戦
不可能を可能に

 今回のセーリングで同乗するのは元読売テレビアナウンサーでニュースキャスターの辛坊治郎さん。2人は2010年の「アースマラソン」で間寛平さんを乗せて太平洋と大西洋を横断した「エオラス号」に乗り込み、サンディエゴを目指す。「この航海を通して、多くの人に勇気と希望を与えたい」と意気込む。
 ヨットの上では目は見えなくても健常者と同じように動くことができ、またエンジン音がないためイルカや海鳥、風なども肌で感じることができるのだそうだ。
 しかし強風や高波に身をさらし、時に危険が立ちはだかることも。「何か問題が発生した時は、視覚的に早くトラブルシューティングができず、ひとつずつ手で触って確認しなければならないので、時間がかかることも多い」と話す。
 しかし「何事も努力すれば可能になることを証明したい。生きることの意味や価値を、目の見えない者の側から見える人たちに伝えたい」と力を込める。
 全盲でありながら「太平洋横断」という大きな夢に挑戦する岩本さん。「人が持つ可能性は限りない。自分に制限をかけないで目標に向かっていくことが大切。自分の見方で人生は変わる。ポジティブエナジーを受けることで人は変われる」。岩本さんの挑戦は今始まろうとしている。
 岩本さんの活動はブログwww.b-sailing.comで見ることができる。【吉田純子】

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