羅府新報が経営危機をコミュニティーに報告する社告を出して2カ月。瞬く間にあちこちで話題になった。
日本の新聞社、ロサンゼルスタイムス、NHKやKPCCなども取材に訪れ、社長や編集長にインタビューしたり、スタッフの働く姿や、年季の入って黄色に変色した古い新聞を撮影したりしていく。
113年もの歴史をもつ新聞社の存在意義、まだ終わるわけにはいかないその役割、メディアそのものを取り巻く厳しい現状などが描かれる。「なくしてしまってもいいのか」「みんなで協力しよう」という、センチメンタルなムードが自然と醸し出されていく。
しかし、こうした扱いも根本的な問題に触れられることはなく、あまたあるニュースの一つとなって消費されていく。
第2次世界大戦時の苦難を乗り越えてきた新聞社の苦境は、日本の特派員たちが取り上げやすい話題でもある。彼らの出世の手助けになるような話題は、この日系社会にそうそうない。
長年働くスタッフたちは何が問題なのかよく知っている。内部の自助努力が足らず、過去に同じことを繰り返しては改善されずにきたこと。数年前も、コミュニティーの有力者たちが集まってアイデアを出し合う経営再建チームができた。しかし、抜本的な改革もなされないまま、今にいたる。
先週5月21日付けで3回目の社告が出た。社長を含めた4人からなるビジネスチームが再建に取り組んでいる最中で、7月1日にはそれを実行に移す予定なのだという。これまでの状況を知るスタッフたちからは、ため息が漏れる。「またきっと、同じことが起こるのだろう」と。
さまざまな人たちがどんなに手を差し伸べても、経営陣が最終的に決断を下さなければ、すべての労苦は水泡に帰すことは火を見るよりも明らかだ。そして、負債額だけが確実に増えていく。
今回は、どんな結末が待っているのだろうか。「経営危機劇」の再演ではなく、新聞発行の継続に向けて、新感覚で経営の舵取りができるきちんとした「決断」が待たれる。応援してくれている読者たちも切にそれを願っているのだと思う。【中西奈緒】

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