百聞は一見にしかず―この言葉の意味にあらためて納得した。札幌から車でおよそ6時間、最東端の町・根室市へ。国道沿いにはロシア語の道案内が目立つ。「返せ!北方領土」「北方領土は日本固有の領土」といった看板や標語もあちこちで見かけるようになった。そして「近くて遠い国土」といわれる北方領土をこの目で見て、日本にも国境があることを初めて実感した。
アメリカに暮らしていると国境はとても身近なものだ。街にはメキシコやカナダの国境を越えてきた人たちやその子孫たちが数多く暮らしている。職場の仲間や友人にも外国にゆかりのある人が多い。メキシコ国境の警備、中南米諸国からの不法移民対策などは常に世間を賑わせている。
一方、島国の日本では国境問題はこれまであまり語られることはなかった。しかし近年、国境の存在を強く感じさせる事案が相次いでいる。韓国との竹島問題、中国との尖閣諸島の問題、そしてロシアとの北方領土に関する問題だ。
竹島、尖閣諸島はもともと無人島だが、北方領土には多いときにおよそ2万人の日本人が暮らしていた。終戦直後の1945年8月に当時のソ連が侵攻して以降、現在にいたるまでロシアによる実効支配が続いている。
あいにくの天気で、本土最東端の納沙布岬(のさっぷみさき)から肉眼で見ることができたのは最も近い位置にある歯舞群島の水晶島だけだったが、思ったよりも近い位置にあることに驚いた。
岬の近くの記念館ではかつての島の暮らしや返還運動などの歴史を学ぶことができる。特に印象的だったのは、当時どこにだれが住んでいたかを手書きで記した4島の地図。学校や郵便局、お墓なども表記され、私たちと変わらぬごく普通の暮らしが突然奪われてしまったことが分かった。
今年12月に山口県で行われる予定の日露首脳会談では何らかの合意がなされるといわれている。戦後70年を過ぎ、郷里を追われた元島民たちも高齢になっている。今こそ「もう一度生まれ故郷の土地を踏みたい」という彼らの思いが届いてほしい。【中西奈緒】

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