2、3歳ぐらいの幼児に1ドル札5枚と、20ドル札1枚を見せて「どっちが欲しい?」と聞くと、ほとんどの幼児は1ドル札5枚を選ぶという。紙幣の価値はともかく、1枚より5枚のほうが多いと理解し、数の概念をしっかり把握している賢い選択。
 もう少し大きくなると、お金そのものの価値が分かるようになり、その便利さも理解するようになるのだが、その便利で価値あるお金が使えないとしたら、私たちの日常生活は不便をきたすことに。
 ここ数年、ロサンゼルスの公共交通機関であるメトロバスや電車あるいは市営のローカルバスに乗車する場合、路線によってはTAPカードの利用が義務づけられ、現金が使えない。もちろん駅やオンラインなどであらかじめTAPカードを買えるのだが、初めての人にとっては買い方がけっこう難しい。面倒くさいのだ。
 お金は物、時間、情報、技術、労働などの価値を数値化し、社会生活に不可欠なものなのに、バスや電車に乗ろうとしても現金が役に立たないとは、なんとしたことか。お金の価値と便利さを理解し始めた子どもはもちろん、大人だって面食らう。
 また、公共の駐車場も最近は現金を使えないところが増えてきた。現金を扱う上でのトラブルを防ぐ狙いがあるのだろうが、利用者にとっては、駐車場から出るのに手間取ること甚だしい。
 現金は持ち歩かない、家に置かないのがアメリカ社会。泥棒に現金を盗られたとしても、保険会社は「家に大金を置いておく必要性はない」として通常200ドルまでしか補償しない。世の中で現金ほど確かなものはない、との感覚はもう時代遅れなのだろうか。
 一方で、レストランや小規模なお店では Cash Only(現金のみ)というところも多い。現金の持ち合わせがなければ、品物なら「じゃ〜、買うのをやめます」と言えるのだが、飲食店の場合はすでに食べてしまった後なので払わないわけにはいかない。近くのATM(現金自動預け払い機)に走ることになる。これはこれで、面倒だ。
 世の中、便利になったと思うか、不便になったと感じるかは、人それぞれ。個人的には、せいぜいキャッシュレスにならないように願っている?!【石原 嵩】

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