日本は今夏は自然災害も多く、異常に暑い日が続いたようだ。ちょっとの外出でも汗が噴き出て、ぐったりする、というような話を聞くと、気の毒としか言いようがない。
 ところが快適な夏のはずのカリフォルニアでさえ、ヒートウエーブ警報が出る日が続いた。温暖化は確実に地球規模で日常となりつつある。
 遠い昔、東京で学生生活を送った時、冬の寒さにオーバーを着てさえ震えていた時、キャンパスですれ違った白人学生が半そでのシャツ姿なのを見て驚いたことがある。
 今、米国人が大半の会社で冷房の効きすぎた室内で、セーターを着て震えあがっている。人種、体格、体質の違いで温度に反応する差が大きいことをはっきりと知る。アジア系の女性たちは体が凍えて、頭の芯がジンジンするので、長時間はオフィスに留まれない。一方、隣席の白人男性は、薄いシャツで快適そうだ。冷房の温度を上げてくれと要求せずに、セーターを着たり、脱いだりでコントロールする自分たちの姿に考えるものがあった。
 日本人の家では、冷房がない、あるいは壊れても直さない、という人が結構いる。暑い寒いは自然なのだから耐えて当たり前、少々のことは我慢する、と教育されて来た。スイッチ一つで、冷房や暖房に切り替え、常に快適な室温が当たり前の今の生活環境からすればバカバカしい教えだったかもしれない。しかし、耐え難いものに耐える力、耐え続ける忍耐力は確実に身に付いた。暑い、寒いは些末なこと。それらに振り回されず、重要なことにフォーカスする。少々のことには文句を言わない。そのタフさは安定感を生む。何かを成し遂げる敷石になる。ヒートウエーブが去った後の空気の爽やかさが、より一層、しみじみとありがたい。
 日本人は、全てを受け入れて諦める体質だ、と言われたことがある。いえ、そうではありません。全てを受け入れ、かつ、諦めないのです。それぐらいには強靭なのです。そう堂々と言いたいものだ。【萩野千鶴子】

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