「ハローハロー、お元気? 今夜、何してるの?~」日曜日の夕方、ブラタモリを時々見る。このテーマソング、親交の深いタモリが依頼したら、井上陽水が二つ返事で引き受けたという。エンディング曲も出来ますけど、と短時間で二つの曲を書き上げたとか。
 今回は富山県の黒部ダム。
 20代の頃に旅した。トロッコ電車から見た宇奈月の見事な紅葉は目に焼きついている。あの大きな黒四ダムの上にも立った。けれど、今回ほどの感慨はなかった。そばで解説してくれる人がいなかったセイだったかもしれない。
 黒部ダムは、戦後の経済復興で不足した電力を補うために、3千メートル級の山々と深い谷を持つ秘境に作られた。地形や地質、発電に必要な水量、落差などあらゆる点で理想的な場所だったことが説き明かされる。
 まず、北アルプスの山の中を貫き資材運搬の工事用トンネルを掘ることから始まった。この準備だけで3年かかったという。一番の難所は80メートル間の「破砕帯」。細かく砕けた岩盤から噴き出す冷たい地下水に阻まれ、手作業で一日40センチ。掘り進むのに7カ月もかかった。
 ダム建設中にもピンチが訪れる。フランスで同型のアーチ式ダムが決壊し、500人の死傷者を出す惨事が起き、建設費の一部融資の世界銀行から186メートルのダム高を安全のため150メートルにするよう勧告される。それは貯水量の半減を意味する。技術者たちがダムを支える岩盤の強度テストをして見せ、その危機を乗り越えた。コンクリートダムのあちこちに保存されたその痕跡をカメラは映し出す。
 62階建てビルに匹敵する巨大なダムは、点検用通路も9キロに及ぶ。その通路をいざなわれ、水しぶきをあげるダム放流のど真中に出てきた瞬間、その大迫力にタモリならずとも、ワアーと声を上げてしまった。
 工期7年、作業員延べ1千万人、総工費513億をかけた黒部ダムの完成は昭和38年。戦後間もない時期に構想し、こんな大工事を成し遂げた日本人に畏敬の念を抱く。人間ってスゴイ!
 それにつけても、聞こえてきた神鋼のデータ改ざん、日産、スバルの無資格検査。一流企業の不祥事は、がっかりするとともに怒りを覚える。日本人の倫理観はどこへ行ってしまったのか。嘆かわしいことだ。【中島千絵】

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