外国語が得意だったり、旅行や文学などで外国文化に多く触れていたり、身近に外国から来た人たちがいたり。それでも、保守性や排他性を持ってしまう日本人がいるのはなぜだろう。
 楽しみにしていた初めての飲み会。しかし、参加者は20人ほどの日本人だけだった。職場の3分の1を占める外国人の同僚は誰一人呼ばれなかった。
 さすがに驚いて幹事に異を唱えたらこう反論された—「内輪で集まって日本語だけで話したい」「そもそも日本語が話せない彼らが悪い」。もし呼ぶなら「隣に座って通訳して、お酌をしてあげなさい」とまで言われる始末。
 「僕らはいつも呼ばれない」「彼らはナショナリスト」「ボイコットしたらいいよ。今度もっと楽しい飲み会をしよう」— 外国人の同僚は私に不満を漏らした。
 折しも衆議院選挙の後だった。希望の党の小池百合子代表(当時)の口から出た「排除の論理」で政界は混乱し、いまだに野党の大分裂は尾を引いたままだ。
 そんなタイミングだったからか、もともと長いものに巻かれたくない性分の私は、たかが飲み会だとはいえ、日本人というだけで多数派に取り込まれ、少数派の外国人の仲間の排除に加担してしまった、そんな気持ちになった。
 日本語を話したいというエゴで、しれっと異なる者を排除する。こんな日常でも起こったことは本当に残念だし、悲しいことだ。
 国境に壁を作るだの、異教徒を排除するだの、と大統領が語っている国よりも、日本社会のほうがずっと「違うことに非寛容」だと言えるかもしれない。アメリカにいた頃の友人が「日本はナショナリストの国だ」と言っていたのも納得だし、日本とアメリカのトップが仲良しなのも頷ける。
 「国際」と名のつく場所で日々英語を使い、多様性のある職場で仕事をしているのに、それとは正反対とも思える行動を取る。「島国根性」から抜け出すのは難しいだろうが、それを正当化することはできない。もしまた飲み会に誘われたらボイコットする? いや、通訳を買って出て彼らを引き連れて参加しよう。小さなことだけど、相互理解を深める大きな一歩となるはずだ。【中西奈緒】

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