今年も残りわずか。12月に入るとすぐに、フレッシュなもみの木を居間に立てる。新鮮な木の精気が清々しい香りを放ってくれる。二、三日、飾りなしに、ただ深い緑の木の生気を浴びる。部屋の中に木を立てるのは、年末のこの一時だけである。20年もプラスチックの木に飾りをつけ、楽しんでいたが、3年前に、本物の木をもらってからは、やはり何とも言えない木の香りに魅了された。
自然の純粋な生に誘われるように、木と静かに向き合い、一年間のあれこれを思い巡らす。よく働いた、できるだけのことはして生きてきた、そう思える一年を過ごせたことを感謝する。そんな素直な気持ちになれるから不思議だ。
多くの困難に出会ったが、今までに避けてきた難しいことに、挑戦してみようというのが、2017年の自分の新年の抱負だったから、当然起こるべきことが起こったに過ぎず、文句は言えない。来年は意を決して、ネイティブと同じレベルの英語を話すことを抱負としたい。理由はこの国に骨を埋める決心をしたことが大きい。日常会話や仕事に困らないレベルの英語であるが、どんな内容であれ、誰とでも、それなりに、会話を継続させることができる日本語のレベルとは程遠い。在米40年でこれでは恥ずかしい。
そう決心した時から、何かが少しずつ変化している。軒先に飾るクリスマスの飾りが、まるで、日本のお正月の門松のように思えてきた。今年も無事に終えられそうだ、来年も元気に過ごせるように、まるで門松に祈ったように、クリスマスの飾りに誓っている。
今は激動の時代だ。テクノロジー革命は便利さを通り越し、かつては人の手や頭が処理していた仕事を奪った。仕事が消えてなくなっている。世界中の皆が小さなコンピューターである携帯を握りしめて一日を過ごす。人間はどこに行き、現実世界はどこにあるのだろう。テクノロジーの過剰な発展が本来の人間の自由な暮らしを奪うことのないように、戦々恐々の未来を見守ってゆきたい。【萩野千鶴子】