今年、日本の桜は開花が1週間も早かった。わが街・宮崎台もそうだが、各地では競うように桜祭りが行われる。多くの桜祭りは残念ながら花のピークを過ぎてしまったが、日本人は花といえば桜である。この季節、南から北へと桜の開花情報が北上し、全国お花見のニュースで溢れる。
 アメリカにもワシントンDCに桜の名所がある。東京市長・尾崎行雄が贈った桜として多くの人に記憶されているが、これには多くのアメリカ人や日本人が関わっていたことを知った。
 「いつかアメリカにも日本の桜を植えて人々に見せたい」と強く思ったのは、エリザ・シドモア女史(紀行文作家)と、それに賛同した米大統領夫人ヘレン・タフトである。米国内では急増する日本人移民に排日の機運が高まっていた時期でもあり、日本からの桜寄贈は友好を促進するには格好のプランで、東京市からの寄贈となった。
 1909年(明治42年)の1回目の2千本の苗木は、検疫で害虫と病気に侵されていることが判明、残念にも全数焼却処分となり、両国関係者の失望は大きかった。
 この失敗にもめげず、専門家の支援を受けて生育された1万5千本の苗木は、厳重な検査・消毒を経て6千40本が選別され送り出された。1911年(明治44年)3月にワシントンDCとNYに半数ずつ降ろされ、検疫の結果、無事全数が受け入れられたのである。桜の苗木はポトマック河畔をはじめ、公園や学校、さらにホワイトハウスや連邦議事堂にも植えられたのである。
 1915年(大正4年)柑橘学の権威・スイングル博士が来日し、桜の生育報告と返礼として「ハナミズキ」40本を贈った。これらは小石川植物園ほか、園芸試験場や園芸高校などに分植された。1917年には赤のハナミズキ13本と種子が追贈された。ハナミズキは広く日本の土地に根付き、今では各地で華麗な花を咲かせている。
 両国に根付いた桜とハナミズキは、花を愛でる人々に引き継がれ、長く友好のシンボルとして栄えるだろう。対立からは破壊が、友好からは繁栄がもたらされる。花に負けずに、日米の友好が末長く続くことを願いたい。【若尾龍彦】

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