子供の頃に食べていたものが無性に懐かしくなる。「おふくろの味」というやつだ。終戦直後だったし、贅沢なものは食べれなかった。そんな中で母が作ってくれた「水餃子」は私にとっては最高のご馳走だった。
 東京・牛込育ちの母がなぜ、餃子が得意だったかというと、私の父方の祖父が大連市長だったこともあって母は引き揚げてきた祖母から本場の餃子の作り方を伝授されたからだ。
 餃子といえば、山崎豊子原作のテレビドラマ『大地の子』に出てくる。旧満州で両親と離れ離れになった日本人少年が難関を突破して高校に入る。中国人養母はわがことのように喜ぶ。なけなしのカネをはたいて餃子を作って祝ってくれる。貧しい家では餃子は希にしか食べれなかったのだ。
 「おふくろの味」は無論、日本人だけの専売特許ではない。知人のアフリカ系アメリカ人の女性にとって「おふくろの味」は「日曜日の夜、家族そろって食べたフライドチキン」だという。サウスカロライナ出身の元教師だ。「あれがほんとのソールフードだわ」
 上海から来た私の墨絵の趙先生は、「猪肉茄子包子だね」と懐かしそうに言う。点心料理の角切りの豚肉と茄子の肉まんである。
 「おふくろの味」を英語に訳せば、さしずめ「Mom’s Good Old Home Cooking」。「おふくろの味」には「Good Old 」といったニュアンスがこもっている。
 早くに母を失った人には、「おふくろの味」なんかないんだろうか。そんなことはない。「おふくろ」の語源は、赤ん坊が「母親の懐(ふところ)」で育てられるところからきたという。「ふところ」が詰まって「ふくろ」となり、「おふくろ」になったという説だ。
 だとすれば、自分を育ててくれた人を「おふくろ」に置き代えればいいだけのこと。それは祖母かもしれないし、叔母かもしれない。子供の頃の、楽しくて、嬉しくてしょうがなかった「あの頃」の記憶。その時食べた「あの味」がまさに「おふくろの味」に凝縮されている。
 時折、「おふくろの味」を自分で「再現」してみようとするのだが、ホンモノには遠く及ばない。それが「おふくろの味」というものなのだろう。【高濱 賛】

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