2週間の日本滞在で「終活」という言葉を何度耳にしただろう。テレビやラジオで「しゅうかつ」という音が流れるたびに、「就活?」と一瞬思うのだが、ほとんどの場合「終活」だった。
「終活とは『人生の終わりのための活動』の略」らしい。伝聞調なのはこの言葉をまだ使いなれていないから。先月までは使う機会もなかった。
両親と祖母はかなりの「ホーダー」トリオで、家の中も外もいらないものが目立つ。(「ホーダー」については10月17日付磁針をご参照ください)
わたしと姉は3人の「終活」を代行することで意見が一致した。
まず台所。足腰の弱った親でも移動しやすいよう配置換え。食器は日常的に使うものを残し、ほかは徹底廃棄。次に祖母の部屋。意外に着道楽だったことが判明したが、大半は着られないためお別れ。ムダに敷地が広く何でもためておけるのでタチが悪い。壊れた電化製品や「リサイクル」の名目で残されたあらゆるものが大切にしまわれている。
テレビでは「断捨離」だの「終活」だのと特集を組んでいるが、実践しているのはほんの一握りじゃないだろうか。
「捨てたくない」とか「もったいない」という思いがよぎった。アメリカに持って帰り寄付したい気にもなった。だが、姉の容赦ない捨てっぷりに、そんな感傷を抱くヒマはなく、裏庭にはアレヨアレヨという間にゴミ山脈が。
3日間かけて1ダースの可燃ゴミと2トントラック1台分の不燃ゴミを片付けた。同級生に伝えると「うちは2台分だったよ」とあっさり返された。上には上がいるものです。
持ち主が元気なうちに捨てられたのは良かったと思う。いくら大切にしていても墓まで持って行けないのだから。せめてゴミやがらくたとは区別して、本当に大切なものと人生の終わりを過ごしてほしい。
実際に「終活」をしてみると、年をとることをより現実として受け止められる。普段は日常を過ごすので精いっぱいだが、人生の終わりをいつも意識することが人の生き方を変えるのだと、2トントラックのゴミが気づかせてくれた。【麻生美重】