宣誓を終え正式に就任した今年度の新役員。前列左から3人目が川田新会頭
 南加日系商工会議所は2019年度の新役員就任式と功労者表彰の昼食会を1月27日、アルハンブラ市のアルマンサーコートで開催した。新会頭の川田カール薫氏ほか、上級副会頭、収入役、書記、監査役、副会頭などの新役員が宣誓し、正式に就任した。
就任あいさつに立つ川田新会頭
 就任のあいさつに立った川田会頭は、1905(明治38)年から活動を続ける日商の歴史、日系社会における同団体の活動と功績を説明。今後も日商主催の重要なイベントを継続していく決意を新たにした。
 会頭は「21年間続くお正月や24年間続く歳末募金、奨学金制度など、日商には伝統的なイベントがいくつもある。これらを成功させることが第一。商工会議所として、名刺交換会やセミナーなどを通じ、会員のビジネスチャンスを作っていくこと。かつて取り組んでいたアジア諸国の商工会議所との結びつきを復活させること。日本各地の商工会議所とも連携していくこと。『新1世』と呼ばれる次世代の子息の教育レベルを上げるための奨学金を出してくれる企業を見つける。そして、日系4世、5世の学資援助。これら6つの課題に取り組んでいく」 と抱負を語った。
 来賓として出席した在ロサンゼルス総領事館小林大和氏はあいさつで、「日商の若者から高齢者までを対象とする継続的な活動をこれからも期待する」と述べた。
 表彰式では日系スピリット賞が住山弘氏と米澤義人氏に、コミュニティー団体へ贈られる賞は「リトル東京歴史協会(LTHS)」に授与された。
新役員の門出を祝し乾杯する参加者
 大阪府吹田市出身の住山氏は、東京教育大学(現筑波大学)で医学博士号を取得。渡米後はUCアーバインへの在籍、日立ケミカルリサーチセンターCEOなどを経て、日系社会との関係を構築する。学生、医者、経営者、報道関係者が意見を交換できる場として「住山&サロン」を開設。オーロラ日本語奨学基金の初代副理事長も務め、高校生の日本語スピーチコンテストの開催継続にも尽力した。日本語補習校「あさひ学園」理事、LA関西クラブにおいては交換留学生制度の責任者など、さまざまな活動を通して日系社会に貢献し続けている。
 住山氏は受賞のスピーチで「伝統ある賞をいただき光栄に思う。個人がもらったのではなく活動に対しての評価。一緒にやってきた方々に代わり賞をもらった」と謝意を表した。「活動の原点は1945年8月15日。小学校4年生で終戦を迎え、戦争の悲惨さを痛切に感じた。アイゼンハワー元大統領は『国と国とは利害関係がある。人と人の絆』が平和につながるといった。子供たちに戦争の苦しみを味わせないために、これからも力を貸してもらいたい」と話した。
日系スピリット賞と団体賞の表彰。左から小林領事、オカムラさん、米澤さん、住山さんと川田会頭。
 米澤義人氏は1930年、宮城県に生まれた。 叔父の呼び寄せに応じ渡米。滞在のためのビザ取得を無償で手助けした中村権五郎弁護士から「この国で暮らすのであれば日系人社会の役に立つように」と言われた言葉が胸に残る。宮城県人会会長を引き継ぎ、2002年には同県人会100周年を成功へ導いた。11年の東日本大震災時は津波救済基金を手伝い、17万ドルの募金を宮城県へ寄付するなど支援活動に尽力。昨年20周年を迎えたLA七夕まつりの発起人委員会の一人として、さまざまな団体にたなばた飾り製作を指導、普及に努めている。
 米澤氏は受賞のスピーチで、七夕飾りを仙台から送ってくれた同市の『白松もなか』社長について話し、「訪米時には七夕飾りの材料すべてを持参して、飾り作りの達人も一緒に連れてきてくれた」と当時を振り返る。LA七夕まつりの成功は「自分の力は4分の1くらい。4分の1が妻(順子さん)、あとの2分の1はみなさんの協力のおかげだと思っている」。「ことしの目標はメトロの駅に七夕を飾ること。みなさんの力を借りて達成したい。LAXに飾られるまではがんばり続ける」。米沢氏は力を込めた。
川田会頭(左)から功労の盾を贈られた山﨑前会頭
 コミュニティー団体として選ばれたリトル東京歴史協会は2006年に設立された非営利団体。マイケル・オカムラ会長が日英両語で受賞の喜びと今後に向けた決意をスピーチした。
 「数多くある日系団体の中から選んでもらいたいへん光栄。小東京は目まぐるしい変化が訪れている。135年の歴史を保存する最前線として、大切な歴史資料や歴史的建造物の研究などを行なっている。多様性を持つ日系社会はさまざまなチャンスをもたらす。これからも繁栄し続けると強く信じている。大切な小東京を守るために個人や諸団体と協力し、ともに行動を続けていく」

 川田会長から任期を終えた山﨑ジェフ一郎前会長に功労の盾が贈られた。山﨑氏は「みなさんに助けられ無事2年間を終えた。今年70周年を迎えた日商にも変わらなければいけない部分があることに気づいた。会頭ではなくなるが、引き続き貢献していく決意。具体的には、日本各地の商工会議所との結びつきを強めていきたい。広島の廿日市市や京都など、まずは一対一で話し合う感じで時間はかかるが、少しずつ進めていきたい」
 最後は川田会頭の掛け声により、盛大な三本締めで終了した。【麻生美重、写真も】

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