「北米川柳道しるべ」という小冊子を頂いた。2011年初版、全96ページには、戦前、戦中、戦後にアメリカで暮らした人たちの川柳が時系列でまとめられている。編者の関三脚さんによる注釈があるので、時代背景もよく分かる。もともと川柳には「クスッ」と笑える要素があって楽しいが、読み始めたら面白くて止まらなくなった。当時の生活の匂いが伝わってきた。
北米の川柳の集まりは1910年頃に始まったそうだ。明治43年にあたり、日本では私の祖父母が生まれた時代だ。1920年に移民が11万人を超えた頃に排日運動が盛んになり、1924年の排日移民法で移民の門が閉ざされた。これは大正13年で私の叔母が生まれたころか。西暦に和暦を当てはめてみると、本の中の歴史に現実感が出て、自分の記憶と共鳴する。
私は明治生まれの祖父母と同居で育ったので、よく昔話を聞いた。一生を着物で通した祖母の話の舞台は、東京下町。鉄砲洲のお祭で唄った話。(「あの時に歌手になっていたらねぇ」と言っていたが、どれほどのものだったかは、謎である)。新婚旅行代わりに祖父と人力車に乗って新橋演舞場に芝居を見にいった話。東京大空襲では幸運にも家が焼けず早めに商売が再開できた話…。その同時代に、海の向こう側にも日本人の暮らしがあったとは、LAに来るまで考えてもみなかった。本の中から詠み手が私を手招いた。
戦中には収容所に隔離された日本人がいて、忠誠登録ではこんな川柳が詠まれていた。
「征くからは敵になる子を褒めて出し」
そうだよね、親子が別の国籍になるということは、こういうことだよね、と、ページを追う目が止まった。
最近、市民権を申請したほうが便利かなと、時々だが思うことがある。市民権を得たら、ホームレス問題を解決する政策や日系二世の市民運動に一票を投じることができるし…、だが引き換えに日本人を辞める決意は…? 決断は難しく「どうして両方(二重国籍)ではダメなのかな」と思っていたが、「戦争になったら困るものね」
そう言うと誰もが「日本とアメリカが戦争をするわけがない」と笑うが、本当だろうか。【長井智子】

Leave a comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です