10月6日、ロックギターの革命者エディ・ヴァン・ヘイレンが、がんで亡くなった。まだ65歳という若さだった。1980年頃、衝撃を受けた筆者は、彼のレコードに幾度となく針を落とし、耳を傾け、ギターを無我夢中で練習した。40年以上経過した今でも、その素晴らしさには圧倒される。美しい旋律は琴線に触れ、涙をさそう。
 日本では男が泣くとみっともないとか軟弱だとか、見下される傾向にあるが、誰だって悲しければ、自然と涙は出るだろう。泣いても状況が変わることはないが、泣くことに一種の浄化作用がある。
 しかし、現代人の傾向として、感動することや泣くことがなくなってきているという。日本では、そんな人たちのために、「涙活」をしている「なみだ先生」がいることをニューヨーク・タイムズの記事で知った。
 近年は笑うより泣く方がストレスの発散効果が高いといわれるぐらい、泣くことは健康に良いらしい。「涙の授業」と呼ばれるクラスでは、泣ける映像を上映したり、心打つ物語を朗読したり、弱音を吐いてつらい気持ちを打ち明けることで気持ちを和らげる「泣き言セラピー」などがあると言うが、果たしてどれくらいの効果があるものか。
 子どもの頃は兄貴にいじめられてよく泣いたが、確かに泣いた後は気持ちが穏やかになった記憶がある。考えてみれば、生まれた時からわれわれは泣いていた。赤ん坊は、お腹が空いても、眠くても、オムツがぬれても、気に入らないことがあれば無意識のうちに泣いて訴えていたわけだ。元来、涙は人間の立派な自己表現の一つということである。
 今年はパンデミックで人と会う機会すら少なく、ますます自分を表現する場面が減ってきた。社会経済も不安定になり、抑圧された日々の生活の中で、心休まる時間もないだろう。今は誰もが泣きたい気分のはずだ。
 確かに涙活も一案だと思う。でも実は誰にでも心強いなみだ先生がついているのをご存知だろうか。それは、「玉ねぎ先生」。泣きたくなったら、台所に立って玉ねぎを切れば良い。涙が頬をつたって落ちていく。泣けて、泣けて仕方ない。今夜の夕食は肉じゃがにするか。【河野 洋】

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