長尾和宏医師原作の「痛くない死に方」という映画の中で、末期のがん患者に健康のために止めさせていた酒やタバコを医師が勧めます。さまざまな人の死に方を通して、人間らしい死の迎え方を考えさせられる作品です。終末をどこで過ごしたいか希望を聞くと、多くの人は自宅で最期を迎えたいと答えます。ですが、病院での死亡率はスウェーデンやオランダや米国では約4割、英国やフランスでは約6割。さらに日本では約8割が病院で亡くなるという統計があります。最後の願いを、多くの人が叶えられないで亡くなっていくのが現実なのです。
永六輔氏は自著の「大往生」で、「ただ死ぬのは簡単なんだ。死んで見せなきゃ意味がないよ」、「病院で死ぬということは、病院に殺されるということです」と、上手に死んでみせることを書いています。僧侶で教育者の無着成恭氏は、「生きている目的は死ぬことですよ。だとすれば、見事に死んでみせようとするためには、今死んでも大丈夫なように生きるしかないんですよ」と説きます。
ファルケンシュタイン・ヒロコ氏は最新の著書「Happy介護」で、アメリカ人の義理の父母を看取った経験を発表しました。前立腺がんを患い、目も耳も不自由になり、余命わずかな義父が「僕は人間として必要なものを全部無くしてしまったんだ。一体なにが残ってると思う? ヒロコ」と嘆きます。それには、「六感がある。ユーモア、愛情、知恵、体験、いくらでもでてくるよダディー」と優しく答えます。この本は義理の両親の介護体験を通じて、生きること、そして死ぬことの意味を教えてくれます。
長寿社会は祝いこそすれ、平均寿命など競うものではありません。さまざまな都合のために延命させられているとしたら、長寿には何の意味もないからです。もちろん多くの病院や医師は尊敬すべき存在です。医学を信頼し、そして自分らしくを選択する。自然な死を迎えることは、より良く生きることなのです。現代社会は自分の思い通りに「生きにくい世の中」なのかもしれませんが、せめて「死ににくい世の中」になってはいけないのです。【朝倉巨瑞】