野本一平さんと初めてお会いしたのは、ちょうど5年前の3月でした。私が書いた円空の文章から結ばれた縁でした。私の母親の生家の近くに円空博物館があり、木に荒削りに彫られた不思議に微笑む仏像があることを書いたのですが、それを読んで伝えたいことがあると思ったのか、何の取り柄もない私に円空について書いた自身の原稿が送られてきたのでした。その時には野本さんがなぜフレズノに住んでいたのか、まさか僧侶や作家、北米毎日新聞の社長であったことも知らずに手紙のやり取りをしていました。私はお礼状に添えて円空仏の写真集を贈りました。今では、円空がつなげてくれたのではないかと思っています。
その後、大病をされてサンフランシスコで入院されていた病院や、療養でご自宅に移られた時にも訪ねて行き、濃密な時間を過ごしました。野本さんは病気のために多くを語れませんでしたが、何かを訴えるような、何かを伝えたいような眼力を感じました。会うたびに握手の力が強くなっていくので、この方は間違いなく元気になると確信していました。
昨年末には無言館に行ったことを文章にして発表した後、思いがけず奥様から電話がありました。野本さんご夫婦も以前無言館に行って、日系人の方の絵を寄贈したことがあるのだと伝えられました。絵画にも深い関心を持っておられることを知り、今度は無言館の絵によっても結びつけられたのでした。
野本さんと最初に会ったフレズノのご自宅の前には見事な桜の木がありました。私たちは満開の桜の前で、記念写真を撮りました。もう戻らないご主人のことを知ってか知らでか、今年も桜が満開になっているのではないかと思うと哀惜の念に堪えません。
多くのことを教えていただいた人生の師へ、一言でも感謝の言葉を言うことができなかったことを残念に思いますが、往生とは単に死ぬことではなく、「極楽世界に往き、生きる」のだと言う法然の言葉を思い出すと希望があふれます。そして今頃極楽浄土で、「イッペー呑ん」でいるのかと思うと、円空仏の微笑が目に浮かびます。【朝倉巨瑞】

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