京都は下鴨神社の境内にある、糺(ただす)の森を歩きました。新緑の季節に原生林から降り注ぐ木漏れ日や、世界遺産に指定されているだけある厳粛さに心が洗われ、深くゆっくり息を吸い込むと自然と無口になります。森の中を静かに流れる瀬見の小川のほとりで休憩をしていると、カモの水浴びを見学できました。「石川や瀬見の小川の清ければ、月も流れをたずねてぞすむ」と、鴨長明(かものちょうめい)も風流な句を詠んでいます。糺の名前の由来には諸説ありますが、ここにたたずむ時間は、世間の偽りや喧騒(けんそう)を自然の状態に正してくれる力があるような気がしました。
 下鴨神社の神職の家に生まれ育った鴨長明は、歌道だけでなく琵琶(びわ)や琴や笛の演奏にも長けていましたが、50歳の時に公職から身を引き隠遁(いんとん)しました。「ゆく河のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし」という冒頭文から始まることで有名な「方丈記」には、鴨長明の人生観や儚(はかな)さが、日本の中世文学の代表的な随筆としてつづられています。
 糺の森に隣接した河合神社の一角に方丈庵がありました。一目では寂れた小屋にしか見えないので、誰も見向きもしていませんでした。方丈庵は約3メートル四方で、5畳半ほどの広さ。間口も奥行きも一丈四方というところから、方丈の名前がつけられたそうです。部屋の中央には囲炉裏があり、入口を入って右側に仏教を学ぶ小さな机があり、衝立(ついたて)を挟んで左側が演奏や筆を嗜(たしな)むスペースでした。「方丈記」は、この方丈庵で書かれたことから、その名前がついたそうです。
 鴨長明はこの方丈庵に住みながら、各地を流転する生活をしていました。屋根や壁を取り外して移動に便利なように、木や竹を素材とした組み立て式となっていたのです。今で言えばモバイルハウスの思想です。晩年に、小さな庵を寝食と修行と芸術と著作する場所とし、世の無常を思い、演奏し、書をしたため、家と共に生きる生活を楽しんでいたのでしょうか。【朝倉巨瑞】磁針

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