野本一平
六月のことを、古い日本語では「みなづき」と呼んでいる。
漢字を「水無月」とあてて、書いている。文字の意味をそのままとると、水の無い月とうけとれる。
六月が水の無い月だなど、とんでもないことで、日本は梅雨の季節である。
では何故、「水無月」と書くのであろうか。漢字の「無」をナと読ませているが、文字通り無いという意味ではなく、これは何々の、にあたる所属を表わす「の」の意味で、ただ「無」という字をあてただけである。
たとえば、ミナモトの語源は「ミズノモト」(水のもと)だし、ミナトが「ミズノツ」(水の津)であるように、ミナヅキは「ミズノツキ」(水の月)ということになる。
漢字で水無月と書いたのとは、まったく反対の意味で、日本の季節がいうように、六月はまちがいなく、水の月にちがいない。というより、いよいよ暑さに向かう月でもあり、水の重宝な季節を、こう呼びならわした昔の人たちの、自然観がうれしい。
前置きが長くなった。
ところで現代詩人は、この六月をどのように詠っているのだろうか。
井上靖の詩を読んでみよう。多くの人たちは、彼を詩人としてより、高名な小説家として記憶している。だが知る人は、彼は終生、詩人の務侍(きょうじ)を持した作家であったことを、ひそかに敬愛する。
六月
海の青が薄くなると、それだけ、空の青が濃くなってゆく。
街に青のスーツが目立ってくる。それに従って、山野の青が消えてゆくのだ。
六月—、移動する青の一族。その隊列を横切るために、私は旅に出なければならぬ。
なんと、たくみな季節の表現だろう。青という色あいをとらえ、その青が増幅していく気配を、しずかに六月という月にいいあてて、旅へのいざないを、詩人はうたう。
考えてみれば、「青」という色は、しゃれた色なのだ。画家にいわせたら、青にもいろいろ種類があるという。白に配した青は、すずしい色になる。夏のいろだ。
もう二十年も前になろうか。たまたま京都に遊んだ時、祇園の「浜作」で食事をした。その時、壁にかけていた書があった。
夏は来ぬ
すゞしきいろの
ものこひし
まる山の灯よ
君のひとみよ
浜作ほどの店だから、季節、季節にふさわしい書や、色紙を、さりげなく替えるのだろうが、文字といい、歌といい、心にくい。作者は吉井勇。
涼しきいろのもの恋いし、などと、歌人吉井勇ならではの、情緒の世界である。
それも、祇園の町の灯の下で、この歌に出会ったことは、とりわけ印象深いことだった。
話は横道にそれた。ところで井上靖は詩の中で、青い色のイメージが推移して行く過程で、その青い一族の隊列を横切って、旅に出て行く、人の存在を示した。
彼は、六月を、ただ季節のうたとしてリリックに詠おうとはしていない。そこに吉井勇の、歌の世界とのちがいを見る。
井上靖の小説には、いつも弧影をひきずっているような主人公が出てくる。どのように物語りが展開していっても、そこには孤独と寂寥(せきりょう)が、その底辺に沈潜している。
「私は旅に出なければならない」と書いた最後の一行は、古い抒情に、ややもすれば、おぽれ、停滞することから、あえて身をひるがえした詩人の意思がある。
まるで、これからはじまるストーリーを暗示するかのように、詩はとぎれる。
だから、この「六月」は、これから構築しようとする物語のプレリユードのようなもので、青い六月のイメージの中に、どんな人と人との綾を織ろうとしたのだろうか。
井上靖の詩のほとんどは散文詩の形で表現されている。行を変えたり、韻を踏むことはあえてしない。
彼はやがて小説として、ふくれ上がって行く小さなイメージを、詩の中に、一度結晶させている。
彼自身が、自分の詩について、つぎのようにいう。
自分の作品が詩というより、詩を逃げないように閉じ込めてある小さい箱のような気がした。
といい、そして、
私は小説を書き出してから、自分の詩のノートに収めてある作品から、何篇かの小説を書いている。詩として優れた生命を持ち得なかった文章の幾つかは、私の小説の発想の母体となっている。
ともいっている。ここに井上靖の文学作法のひみつがありそうである。
ことしもはや六月になった。一年の半分をくらしたことになる。
子供たちの夏休みがはじまる。彼らにそそのかされるまでもなく、やはり「旅」に出ることは大切なことのように思える。
詩人のことばにならい、青い隊列を横切って行くためには、人に気付かれず、ひそかに横切るためには、やはり青いスーツを、身にまとったほうが、きっとよいのかも知れない。
さあ街に出て、すずしい色の、青いスーツを求めにでようか。
(2月に亡くなられました野本一平さんを追悼し、サンフランシスコで発行されていた月刊誌「もん」に発表した「詩片季語」を毎月1回、木曜随想に連載します)