私個人の信条として、よく知らないことについて言ったり書いたりすることは好みません。ですから、政治や宗教のことについては、できるだけ触れないようにしています。しかし、アフガニスタンの人気フォークシンガー、ファワド・アンダラビさんが、タリバンによって処刑されたというニュースには、驚きや怒りを通り超して、悲しみと失望を感じずにはいられませんでした。処刑理由は、「イスラム教では音楽は禁じられているから」。つまり、音楽家であったから殺害されたというのです。

 以前にタリバンが国を支配していた1996年から2001年の間も、音楽は非合法とされ、音楽を聴いたり演奏したりしただけで厳しい罰が与えられ、楽器は破壊されました。今回、アンダラビさんの処刑により、アフガニスタン国内の音楽家や音楽家を目指す若者が、その自由を奪われるだけでなく、生命の危険を感じざるを得ない状況になったわけです。

 しかし、同じイスラム教国でも、音楽を受容し楽しんでいる国はありますし、つい先日まではアフガニスタンでも、国立音楽院で男女が共にアフガンの伝統音楽のみならず西洋音楽も学んでいたのです。ロックバンドなども活動していました。

 どうしてこのような違いが生じるのか。イスラムの聖典コーランには、直接的に音楽の是非を明らかにした文言はなく、それゆえにその解釈の違いによって、歴史的にずっと賛否両論が続いてきたといいます。その中に、音楽は飲酒や賭け事と同様に、人々を惑わし間違った方向に導き、神への信仰がおろそかになる、という否定的な考え方もありました。タリバンはこの考え方なのでしょうか。

 では、礼拝にまつわる音楽はどうなのか? モスク内部で行われるコーラン読誦(どくしょう)は、美しいメロディーを持つ歌に聞こえるのですが、イスラム教では音楽とはみなされません。また、信徒に礼拝の時間を知らせるために、モスクの尖塔から唱えられる「アザーン」も、どう聞いても音楽に聞こえますが、これもイスラム教では音楽とはとらえません。つまり、礼拝にまつわるものは、それがメロディーのついた音楽のように聞こえるものであっても、いずれも「音楽」ではなく、一般的な音楽とは明確に区別されています。「音楽」ではないから、アラーの教えにも背かないのでしょう。

 イスラム教でも宗派の違いによって考え方に違いがあるのは、他のどの宗教でも同じなのでしょう。そこを深く言及するには知らないことが多すぎますが、伝統音楽を楽しみ、信仰にも取り入れ、他宗教を持つ外国の音楽をも受け入れている国や地域がある一方で、音楽家であるというだけの理由で処刑されるという理不尽さを、どう解釈したらよいのか。一音楽家として、嘆くより他にできることがないという現実に、歯噛みする思いです。

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