秋も深まる10月中旬、ジャーナリストの北岡和義氏の訃報が届いた。人は彼を「北さん」と呼んだ。岐阜県出身。南山大学卒。読売新聞社会部記者を経て横路孝弘・衆議院議員の第一秘書を務め、また「中央公論」「朝日ジャーナル」「文藝春秋」などで健筆を振るった。1997年に渡米し「USジャパン・ビジネスニュース」の編集部長。三浦事件を取材し「13人目の目撃者」を執筆出版したり、「JATV」を設立し、カメラを片手に米国東部やアラスカにも飛び、現地からの歯切れのよいホットなニュースが人気となったりした。
 1993年、日本で政変が起こり、自民党の一党支配が揺らいで細川政権が誕生。連日政局の動向を告げる報道が続き、「われわれ海外在住者も投票したい」と各地で署名活動が活発になった。
 LAでも「在外投票の実現をめざす会」が発足。その時、彼から私に手伝ってくれと。これがその後長く続く在外投票制度実現運動の始まりだった。
 署名活動を始め、全国会議員へのアンケートを送付した。94年5月、日本の海外日系人大会で運動開始を発表し、記者会見。村山首相に面会し、外務・自治省、各有力議員に陳情。同時に日本弁護士連合会に人権救済の申し立てを行い、1年後は日弁連会長から衆参両院議長・総理大臣・外務・自治・法務大臣に公職選挙法改正の要望書が出された。
 96年11月、東京地裁に違憲訴訟を提訴。翌年4月、比例代表選に限定した公職選挙法改正案が成立したが、基本的な解決にあらずと訴訟続行。地裁・高裁と敗訴して2000年12月に最高裁へ上告。05年最高裁大法廷で全面勝訴。07年7月の参議院議員選挙より完全実施。実に運動開始から13年半の年月がたっていた。
 われわれはこのような運動には全くの素人集団だったが、北岡さんは社会部記者と国会議員秘書の経験と人脈を駆使し、要所要所で案を出し、声明文や宣言文を書き、「海外から一票を!」の出版に至るまで主導してくれた。彼を振り返るとき、強い正義感とあくなき好奇心・即断即決の行動力が強く思い出される。金銭欲が薄く人情に厚かった北さん、君はもう本当にいないのか? 今でもあの「元気か?」の電話がかかってくるような気がしてならない。【若尾龍彦】

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