今、世界中で最もよく演奏され聞かれている国歌といえば、ウクライナ国歌でしょう。ウクライナ国内のみならず、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場をはじめとする世界各地のコンサートホール、屋外での集会、NBAやNHLのプロスポーツのアリーナ、YouTube、インスタグラムやTikTokなどのソーシャル・ネットワークへの投稿など、ありとあらゆる場面で演奏されています。
 今月7日には、ワシントンDCのロシア大使館前の歩道で、ケネディーセンターでのコンサートを数時間後に控えた世界的なチェリスト、ヨーヨー・マが、「ゼレンスキー通り」の標識のすぐ横で、立ったままこの曲を演奏しました。通りすがりの人に声を掛けられると、「誰もが何かをしなければならない」と話したということです。日本でも、「炎のマエストロ」の愛称で知られる指揮者の小林研一郎(コバケン)さんの呼び掛けで、「コバケンと仲間たちオーケストラ」が、池袋の東京芸術劇場前の野外シアターで「ウクライナ応援コンサート」を開催し、ウクライナ出身の歌手オクサーナ・ステパニュックが国歌を歌い上げました。ウクライナ国内では、爆撃後の焼け跡で軍楽隊や家を失くした市民が、そして海岸都市オデッサでは12日、ロシア軍からの爆撃が差し迫る中、オペラ座前で歌劇場メンバーによる野外演奏が行われました。モスクワでも戦争に反対する人たちが歌いながら拘束されていく様子が報道されています。
 わずか数週間前までは、ウクライナ人以外はほとんど誰も知らなかったこの国歌は、1862年に民俗学者で詩人のパブロ・チェビンスキーが書いた「ウクライナの栄光は滅びず」という詩に、翌年キリスト教祭司で作曲家のミハイル・ヴェルビツキーが作曲したものが元になっています。民俗学者としてウクライナ各地をくまなく訪れ、風俗、習慣、文化、民謡などを見て回ったチェビンスキーの詩は、独立を熱望していたウクライナ人の心に深く響き、ヴェルビツキーの哀愁のあるメロディーと相まって、人々の愛唱歌となりました。1917年のロシア革命後から22年のソ連成立までの間、わずか5年だけ存在したウクライナ人民共和国の国歌となりましたが、ソ連時代には、この詩が「人心を惑わす」という理由で作詞家のチェビンスキーは辺境の地へ追放され、ソ連の栄光を称える全く別の曲が国歌となってしまいました。
 91年のソ連崩壊とウクライナ独立に伴い、あの歌を国歌にという動きが起こり、翌年、正式に、ただしメロディーだけが国歌として法律で認められました。歌詞は、少し暗く悲観的であるとして国会で討議されましたが、合意に至るまでに11年もの年月がかかり、国歌として法律で曲も歌詞も現在の形に定められたのは2003年のことです。歌い出しの歌詞が少し改められ、元来3番まであった歌詞は1番のみとなりました。
 現在、インターネット上で、さまざまなバージョンのウクライナ国歌の楽譜が無料でダウンロードできる状態(パブリックドメイン)になっています。YouTubeでは、歌詞のカタカナ読みが表示されるものもあります。あなたも、ウクライナを応援する気持ちで、ウクライナ国歌を歌ってみませんか?(小川弘子)

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