音楽は国境を越えて人々の心をつなぐ、音楽は世界共通語(Universal language)である、などという表現は、平和な戦争のない状態でしか通用しないのでしょうか?

 今回のロシアがウクライナに侵攻した戦争で、驚くほどすぐにニュースとして報じられたのは、ロシア人指揮者ヴァレリー・ゲルギエフについてでした。プーチン大統領とは1990年代から親しく、サンクト・ペテルブルクにあるマリンスキー劇場の音楽・芸術監督として、プーチンのサポートを受け、政治的にはその発言などでプーチンをサポートしてきた、親プーチンの象徴的存在です。現役最高峰の指揮者の1人としては、世界中のコンサートホールや歌劇場で引っ張りだこの、まさしく国際的スーパースターです。

 スーパースターゆえに非常に目立つ存在で、戦争開始直後から、この戦争やプーチンに対する見解を明らかにするよう、求められる立場となりました。直後に予定されていたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のアメリカツアー、ミラノ・スカラ座でのオペラ公演、首席指揮者を務めるミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、音楽監督であるスイスのヴェルビエ音楽祭、名誉指揮者であるロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団とその地で行われるゲルギエフ・フェスティバル、名誉総裁であるエジンバラ国際フェスティバル、自らのマネージメント会社などが、ゲルギエフに求めた正式コメントは、その期限までに発表されることはなく、すべてがキャンセルや解任、辞任となりました。

 ロシア人でオペラ界のスーパースター、ソプラノ歌手のアンナ・ネトレプコは、自らのフェイスブックで、この戦争に反対であること、一刻も早く戦争が終わることを望んでいることなどを書きました。その際、芸術家や特定の個人に対して、公(おおやけ)に政治的信条を発表するよう求めることは正しくない、とも述べています。数日後にはインスタグラムに、非常に挑発的な強い調子で、「西側諸国に住み、命の危険もなく自宅でのんびり暮らしている人たちが、非常に困難な立場にある芸術家のことを非難するなんて、偽善であり卑劣だ!」と投稿しました。現在は彼女のインスタグラムはクローズされており、このコメントは見られない状態になっています。彼女は、当分の間、全ての舞台から離れると発表しました。

 自らは海外で生活や活動をしていても、家族がロシア国内にいる、自らもロシア国内での立場がある場合、プーチンを非難することは、自らと家族の命を危険にさらすことに直結するのかもしれず、簡単なことではないのでしょう。太平洋戦争中の「非国民」を考えれば、想像に難くありません。その意味では、彼らもこの戦争の犠牲者と言えるのではないでしょうか? 芸術家も政治に翻弄(ほんろう)されずには生きていけない、これがソ連崩壊から30年以上たったロシアの現状です。悲しい、としか言いようがありません。

(小川弘子)

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