地元ウエストロサンゼルスで、以前から気になっている点がある。南北に伸びる405号線のフリーウエー周辺には、偶然なのか、比較的数多くの大小異なる規模のさまざまな教会が集まる。遠くから車でお祈りに来るには、さぞかし便利な立地条件だ。このかいわいを走ると凛(りん)とした気持ちになる。
 ふと不思議な質問が脳裏をかすめる。これは教会が先に建てられて、後からフリーウエーが作られたのか? それとも逆か? 405号線は1961年に完成だが、この路線が事前に承認されたのは55年。教会がいつ創建されたかを調べてみると、大体が70年代以降のようだ。ということは、フリーウエー建設後である。
 今春、伯父(97歳、父の兄)と父(91歳)が連れ添うように相次いで他界し、ここ数カ月間、東京を2往復して、父の葬式、四十九日の法事に出席した。10人兄弟姉妹のうち、3人は幼い頃早くに永眠し、残る7人のうち北海道から大学へと上京し住み続けたのはこの2人兄弟だけ。それも生存していた最後の2人だ。
 スケジュールに都合がつかず、伯父の葬儀や法事には参列できなかったが、いとこにお願いし、お墓参りをした。奈良時代以前からの古刹(こさつ)といわれる寺院だ。納骨堂ホールでお参り後、屋上庭園に足を運び、快晴のもと、癒やされながら辺りを眺めると驚いた。真っ直ぐ伸びる線路が隣接し、反対側に墓地があるのが見えた。明治時代に鉄道が境内を通ることになり、その結果聖なる敷地が真っ二つに割られたとのことだ。
 その光景が、錯覚か、なぜかあのLAのフリーウエー&教会と重なり、身体中にインスピレーションが湧き上がった。境内を守り、線路をずらせなかったのか?との疑問もあるが、今では電車から見え、駅に近いという利点で人気の寺院になっている。
 教会も寺院もコミュニティーには必要なものだ。時代の変遷とともに、強くたくましく生き延びている。召天、追悼、供養をすることで、悲しみ、つらさ、悔やみなどが癒やされる。
 東京とLAの精神的距離がぐっと縮まったような気がする。身近に父親や叔父がふと現れそうだ。感謝の念。(長土居政史)

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