実は2019年10月までシカゴを訪れたことがなかった。そんなに長い間、遠い存在だった都市を訪問することになったのは、チンドン屋の米国横断でツアーマネジャーをしたことがきっかけである。そして、その時、現地でお世話をしてくれた映画プロデューサーと翌年5月にシカゴ拠点の日本映画祭を設立するに至った。人によってはシカゴへ引っ越したと勘違いするくらい、僕はシカゴという名前を口にしたように思う。
 昨年はオンラインのみだったが、今年はシカゴの劇場での上映も決まり、僕は2度目のシカゴ行きを決め、滞在中にたくさんの人と会った。さらにルート66をドライブしてスプリングフィールドやセントルイス、そして足を伸ばしてデトロイトや近郊都市を回った。
 道は街を結び、人や物を運ぶために作られた。ニューヨークからシカゴは空路だったが、滞在期間中、レンタカーで千マイル以上、街を結ぶ道路を1人でドライブした。過去に米国横断を3回経験しているので、中西部を運転することなど何とも思っていなかったが、NYの友達から、中西部は拳銃を携帯していなくて大丈夫なのか? 内陸の米国人はカフェでスマホをテーブルに置くように拳銃を置くのだろう?と言われ目を丸くし、自分の無防備さに気が付く始末だった。
 しかし、僕が出会った方たちは優しい人ばかりで、数少ない友人が次々と素敵な人を紹介してくれ、みるみるうちに人の道は枝葉を伸ばしシカゴの人脈図が出来上がった。字は体を表すというが、街は人を作る。僕はすっかり中西部に魅了された。
 シカゴが好きになった理由がもう一つある。それは磁針のエッセー仲間、川口加代子さんに他ならない。シカゴの日本人、日系人のコミュニティー団体に長年貢献され、毎日バリバリ仕事をされている。謙虚で献身的で、本当に面倒見の良い方で、ユーモアのセンスもあり、話も面白く、たくさんの方を紹介してくださり、ホテルの夜食にと中華料理に日本の漬物を添えて渡してくださった。うまい!
 磁針がつなげてくれた人の道。磁針を回せば(書けば)、次の目的地が見えてくる。(河野 洋)

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