米国に来たばかりの頃でした。職業がカメラマンの人に、カメラ撮影のボランティアをお願いできないかと聞いたことがありました。その答えは予想外なもので「自分はプロフェッショナルな仕事をしているので、自分の技術を決してボランティアとして使うことは考えていない」とキッパリと答えました。自分の能力を発揮し、職業に誇りを持っているわけですから、なるほどもっともな返答だと納得していました。
しばらくして、自分の職業としている事をボランティアでしている人が「自分の得意な事で日系社会のコミュニティーをサポートし、多くの方に喜んでもらえるならそんなうれしいことはないです」という話をしました。米国では前者の考え方をする方が当たり前なのだと思っていましたが、全く違う考えをする人もいるのだと、米国での常識に軌道修正をしたことがあります。どちらが正しいということではなく、多様な考え方を認め合うのが米国社会だということです。
その頃から約20年が経過し、長年一緒にボランティア活動をしてきたドクターの住山氏が、奥様の療養のために家を整理され、日本へ帰国しました。JFNOCというボランティア団体を結成し、アーバイン市と日本人社会を結びつけたのは住山氏でした。毎年アーバインで行われる世界各国のイベントに日本ブースを設け、日本の文化や価値をOCから発信していきました。ライフワークとして「私の8月15日」というインタビュー記事も連載しています。
住山氏とは、日本語スピーチコンテストのボランティアで知り合い、近所ということもあり家族ぐるみでのお付き合いでした。とはいっても親子ほど離れていますので、学ぶことが多く、ご夫婦共に利他的に生きる姿勢に感心することばかりでした。そんな恩師の生き方を思う時、ひとつの真実があることに気が付きます。貨幣を交換する社会でだけでなく、善意や好意から無償で相手に何かを贈る贈与(ボランタリー)社会の存在です。小さな贈与や行いが、社会を少しずつ変えていくという真実です。(朝倉巨瑞)