今年の夏、3年ぶりに日本へ帰省し、十数年ぶりに家族全員で集まることができた。そこで、2007年に夫が日本を訪れた際に、当時97歳だった私の祖母にインタビューした貴重なビデオカメラの映像を、みんなで見る機会を得た。
 祖母は、明治42年(1909年)生まれで、明治、大正、昭和、平成と102歳まで長生きして大往生を遂げた。洋裁、生け花、茶道を教えながら、陶芸やレザークラフトなどの趣味も楽しみ、好奇心旺盛でポジティブ思考な女性だった。考え方が先進的で、私のアメリカ留学について真っ先に賛成してくれたのも祖母だった。
 幼少期からの記憶を振り返る時、今も五感で鮮明に思い出されるのは不思議と祖母との会話ばかりで、それだけ愛情を注いでくれたのだと改めて思う。歌が好きだった祖母がよく口ずさんでいた昭和の流行歌「影を慕いて」や、「父よあなたは強かった」「母の歌」など戦時歌謡の数々は、今の私でも歌えるほど記憶していて、少し驚く。
 ビデオカメラの映像は約30分で、祖母自作の三番まである歌で幕が開く。そして、祖母の子どもの頃の思い出や嫁入り時のこと、戦争中の生活、自宅に電話やテレビが初めてやって来た時の話などが続き、家族からは何度も感嘆の声がもれた。地名や人名を次々と挙げて、よどみなく話し続ける祖母は、97歳とは思えないシャープさだ。祖母の母親が侍一家の出で、お嫁入りした時に持って来た懐剣が、今も実家のどこかに眠っていると初めて聞かされ、ひ孫たちは目を丸くしていた。
 子どもだった私が、繰り返しねだった大好きな話も語られた。それは、祖母がお嫁に来て間もないある雨の日、ぼたもちを手土産にひと山向こうの親戚宅まで出かけた時、同じ山道を繰り返し歩かされ、日が暮れて気が付けば、ぼたもちがなくなっていたという、祖母がキツネにつままれた体験談である。
 今、すっかり大きくなったひ孫に祖母は、「国にとって子は宝。ひ孫同士、いつまでも仲良くするように」と言葉を贈ってくれた。亡くなって10年たつが、家族の会話に祖母の話はよく出てきて、私たちを笑顔にしてくれる。祖母と過ごした時間は、私の財産になっている。(平野真紀)

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