5年ぶりの日本で、日程の合間を縫って津軽まで足を延ばした。2年前から津軽三味線を習い始めたので、この機会に少しでも本場の空気に触れてみたかった。東北新幹線で新青森、奥羽線で弘前、初日は弘前に1泊して翌朝に五能線で五所川原、そこから津軽鉄道で津軽三味線発祥の地・金木(かなぎ)まで行った。道中、段々に列車がスケールダウンしていき、最後の津軽鉄道は津軽平野をのどかに走るローカル線だった。
 車窓に映るのは黄金色の田んぼや、今が盛りの真っ赤な実を付けたリンゴの木々。そして雄大な岩木山。津軽弁のアクセントで話すボランティアのガイドさんが乗り込み観光案内をしてくれ、ガッタンゴットンの音に交じって、車内に置かれた鈴虫の飼育箱からチンチロリンと虫の音が聞こえてくる。いじらしいほどの観光サービス付きの鉄道。列車名が「走れメロス」号なのは金木に作家・太宰治の生家「斜陽館」があるからだが、その斜陽館の真向かいにあるのが私の目当ての「津軽三味線会館」だ。
 金木は津軽奏法の始祖といわれる仁太坊が幕末に生まれた場所で、会館では演奏や歴史の展示などを見ることができる。おぼろげな記憶にある三橋美智也は演歌歌手だと思っていたが、実は民謡歌手で津軽三味線を全国に広めた人物だと知り驚いた。また、必ずしも現代の津軽に名人が多数いるわけではないこと。三味線大会には全国・全世界から弾き手が集まるという。津軽には三味線店がずらりと並ぶ横丁があるかのように思っていたが、それは私の勝手な想像だった。いろいろ、とても勉強になった。
 演奏技術は練習してもなかなか上達できないのだが、今や目を閉じれば津軽の景色が浮かび、精神面で津軽力の高まりを感じる。だからまた別の季節にも訪れたい。冬の景色や春の景色、三味線の全国大会があるGW時期、ねぶた・ねぷたが見られる夏。経験は演奏のプラスになるはずだ。
 「そこまで行くなら五能線で秋田に回るときれいだよ」と勧められていたのだが、五能線は8月末の集中豪雨でひどくやられ、一部不通となっていたので断念。これも次回、ぜひ実行したいと思っている。(長井智子)

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