父の生前に訪れた能登の温泉を再訪しました。父の背中を流しながらあと何回こうしてできるだろうかと思っていましたので、同じ洗い場に座って、痩せ細った背中と目を閉じて黙って洗われていた父の表情を思い出しました。海がすぐ近くに見える露天風呂は少しぬるめで心地よく、何十分たっても湯から出ようとしなかった父の体力を心配して、そろそろ出ようかなどと言ってしまったこと。話すことがなくなると「仕事は大丈夫か?」と何度も聞く父に、「大丈夫だよ」とだけ答えたことなど、同じ空間に行くと、その時の会話を思い出しました。
 前回は能登で行われた仲代達矢さんの舞台「肝っ玉おっ母と子供たち」を見せるために両親を連れて行ったのでした。戦争で次々と子どもを失っていく老いた母が戦争を恨みながらも、残りの時間を戦争に向かう兵士相手の商売をやめることなく生きようとする物語でした。公演前に楽屋で仲代さんと話をし、記念写真を撮らせてもらったことを、すでにアルツハイマーの症状が進んでいた父が覚えているのかは疑問でした。それでも父は舞台を最後まで静かに見ていました。
 再び能登を訪れたのは、仲代さんへのお礼も兼ね「いのちぼうにふろう物語」という舞台を見るためでした。ならず者たちを親代わりに見守る老いた主人が暮らす場所に迷い込んだ青年の行動が、やさぐれた彼らの運命を揺さぶります。人は他人のためにも命を懸けることができ、そして生き直せる。今年90歳になる仲代さんがまさに命を懸ける圧倒的な存在感のある演技をし、カーテンコールの拍手が鳴りやまない中、招待された最前列の席から舞台の上の仲代さんに、父への感謝の報告をしました。もちろん言葉ではなく、お互いが目や顔の表情だけでのやり取りでした。感謝の思いが通じたのかは分かりませんが、その瞬間は忘れることのできない時間になりました。
 仲代さんが芝居に人生をささげ多くの時間を使うことは、彼自身の命を使うことです。父が長年家族のために働いてきた時間も、命と引き換えにしてきたのかと思うと、残されていた時間をもっと有効に使うべきだったのかもしれません。そして自分自身にも問いかけます。そう、時間は命なのです。(朝倉巨瑞)

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