福岡で母の介護に日を送るうちに夫が誕生日を迎え、妹夫婦が温泉での休日をプレゼントしてくれた。目的地は福岡県の南部、筑後川沿いの原鶴温泉。九州を南北に走るJR鹿児島本線を南に向かい、久留米へ。そこで、九州山地を横断する久大線に乗り換える。列車が東に向かううちに左右に柿果樹園が広がり、そこが目指す温泉地でもあった。久しぶりの自由時間と温泉を楽しんだ翌日、名産の柿も購入して帰りの列車を待つ駅で、近くにエリソン・オニヅカ橋があることを知った。
 初の日系人宇宙飛行士となったオニヅカさんの搭乗した「チャレンジャー号」の爆発は、当時シアトルの日本語新聞社に勤務していた私にとって衝撃的な出来事だった。1986年1月28日朝、私は車のラジオから流れる発射のカウントダウンを聞きつつ職場に向かっていた。ちょうど車がフリーウェーを降りようとする時に異常発生が報道され、数分後に勤務先の駐車場に着いた時には、ただただ信じられない事態となっていた。
 シアトルで3代続く日系鮮魚店ミューチュアル・フィッシュには、宇宙飛行士となったオニヅカさんのサイン入りの大きな写真が早くから飾られており、買い物に行くたびにその笑顔に接して親しみを感じていた。オニヅカさんはハワイに生まれ育った日系3世。オニヅカ橋のある福岡県うきは市はオニヅカさんの父方の祖父母の出身地で、オニヅカさんも83年には同地を訪れて墓参りをし、地元中学校で講演もしたのだという。
 ロサンゼルスの小東京にオニヅカ通りが誕生したように、チャレンジャー事故から10年後の96年、郷土ゆかりの宇宙飛行士をたたえて筑後川支流の井延川にかかる橋がエリソン・オニヅカ橋と命名された。その後、オニヅカ夫人も訪れて、地元で講演を行ったという。今回は時間が無く訪れることはできなかったが、写真で見ると、あの穏やかな笑顔や略歴、NASAのマークなどが橋に取り付けられていて、土地に縁ある宇宙飛行士に大きな敬意が払われていた。
 温泉地での休日は、オニヅカ橋の存在を知って、よりうれしいものとなった。(楠瀬明子)

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