最近、耳栓が必需品になった。予備も入れて2セット。カフェにいるときに隣の席の会話を聞かないようにするためと、店内の音楽の大きさを自分で調節するために使っている。
 そこまでしてカフェに行かなくてもいいんじゃない?という声が聞こえてきそうだけど、ロサンゼルスでもそうだったようにカフェ好きは今も変わらないのだ。仕事でも読書でも気分転換になる。
 ただ、この3年で人が少ない静かな環境に慣れてしまったせいか、音に敏感になったと感じている。家族がテレビを見ていると「ちょっと音を小さくして」と言うことも増えた。耳栓のおかげでどこにいても心地の良い環境をつくることができるというわけだ。
 その一方で、自分の心の狭さが露呈したかのような出来事もあった。ある週末、子どもの頃に聞いたことのある童謡などが頭の中を占拠することになる。近所の公園で子ども向けのイベントが行われて、朝9時から午後3時ごろまで、大音量で歌が流れ続けていたのだ。
 その公園はマンションで囲まれているから、きっと私だけではなかったのではないかと思う。しばらくして耐えられなくなり、家の中でも耳栓をして過ごすことにした。体調があまりよくない日でカフェに逃げ込むことはできなかった。
 もちろん子どものイベントを開催するなとは思っていなかったけれど、モヤモヤは残った。そんな時ふと思い出したのは最近のニュース。たった1人の近隣住民からの苦情で児童公園が閉園になったという長野県の話。もっと昔の話だと、住民からの苦情で無線機を使った「サイレント盆踊り」を開催した、なんていう話題もあった。
 そんなニュースに対して「なんて不寛容なんだ」と思っていた私。今ここにいてあまりにばつが悪い。もう少し音の配慮があってもよかったのにと思いつつも、しまいには「自分はなんて心の狭い人間なんだ」と落ち込む始末だ。
 無論、こんな気持ちにさせたのは私自身の心であって、イベントの主催者ではない。今度はスケジュールを事前に確認して、計画的に場所を移動して過ごそうと心に誓った。感情のコントロールの大切さ、そして、静かな日々のありがたさをしみじみと感じた出来事だった。(中西奈緒)

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