TVニュースで元衆議院議長・横路孝弘氏の訃報が流れた。横路氏といえば私のLA時代、訪米中の折に早朝の経営セミナーで講師をお願いしたことがある。横路氏は帰国の日、出発前の慌ただしい時間を割いて来られた。席に着くと「皆さんは今の世界情勢についていろいろと聞きたいことがあるでしょう。順番にお話しください」と。一通り聞き終わると、20分ほど話し、「これで皆さんのご質問にお答えしたと思いますが、何か抜けていますか?」と言われた。私たちは驚いた。22人もの質問を20分のスピーチに答えを盛り込み即座にまとめ上げるとは。こんな人がいるんだという衝撃が強かった。「街中で通行人が車椅子の障害者に道を聞いていた。私はなるほど障害者でも、それはその人の一つの特徴であって、そのこと以外は皆と変わらない人間だと思った」と話されたことを、今でも印象深く覚えている。
話が終わると横路氏は空港へ向かって帰国された。飾らない人柄といい、頭の良さといい、素晴らしい人となりで、深い感動に包まれた一日だった。その日の記録をたどると1996年4月12日、講師肩書が元衆議院議員・前北海道知事となっていたから、3期12年の北海道知事を終えられた1年後のことである。
次に日本でお会いしたのは、2013年9月10日、衆議院第二議員会館の議員事務所で、少しふっくらして温顔で迎えてくれた。在外投票の現状と問題点について説明しご支援を願うと、「分かった。大事なことだから応援しますよ」と、部屋に呼んであった議員を紹介してくれた。別れ際に1冊の本「第3の極」(講談社)を頂いた。帰宅して目を通すと、政・官・業の鉄のトライアングルから国民のための政治へ、軍備に頼らずアジアの国々の経済力アップに貢献し、「アジアの平和と知的通商国家への道」を目指すべしという信念が熱く書かれていた。横路さんが一貫して目指したのは「民意の汲み上げ」と「他国と平和に共存し共に繁栄する役割を日本が担うこと」だった。
日本が専守防衛から敵基地攻撃を含む防衛費倍増に舵を切る中で横路氏の訃報に接し、改めてその志の高さと高潔な生き方を思い起こすのである。(若尾龍彦)