書棚の整理をしていると、薄い和とじの本が出てきた。ワープロで打った自家製の詩集。タイトルは「AN OLD MAN 老人」。1997年3月1日、著者はYさん。限定版40冊、印刷はワープロ。扉に「謹呈 若尾ご夫妻様」と書いてある。詩人としてか文筆者としてかは定かでないが、ロサンゼルスの日系社会では知られた名前だった。指折り数えるともう26年も昔のことだ。
59ページに20編の詩。奥様が水彩画の挿絵を担当。最初の挿絵は街中の公園で芝生の向こうに懐かしい「ジャカランダ」も淡く描かれている。5月末から6月にかけて咲くこの花は、日本の「桜」を思わせる。
著者のYさんは米国に渡り、太平洋戦争にも関わりを持たず、日系社会の一隅で詩人としての誇りを持って生きてこられたのに違いない。詩心を大切にするこの老詩人は、難解な言い回しや言葉使いが詩としてもてはやされる現状を嘆き、ただひたすら自分の思いを自分の言葉に乗せて詩をつづる。それに同感するのは伴侶の老妻のみ。当時きっとこのような日系人の文筆家や詩人が人知れず大勢いたのだろう。
心の中を分かってもらえないもどかしさ、自分の詩心や文章を受け入れてもらえない寂しさ。この詩集にはそんな思いがみなぎっている。たまに日本の故郷を訪れても、成功者としてでないと受け入れられない孤独感、そんな立場の日系人も多かったに違いない。
戦後の日系人で事業に成功した人も結構いた。わが身は質素を保ちながらも多額の寄付を日系社会にもたらした。聞くとみんな同様に「日系社会の皆さんにはお世話になったからねえ」が口癖だった。
しかし時は移り、以前の日系人高齢者の引退者施設は、衰退したり、人手に渡ったりしたようだ。今、日系高齢者の行き先が細り、心配する声が聞こえてくる。これらの声を本国・日本の企業や財団につなぐ努力はされているのだろうか?
本の帯には「あらためて読み返すと、二重の満足感が湧いた。手製の詩集を作った喜びと、詩集はわたしたち夫婦の愛の合作だったことである」とある。もって瞑(めい)すべしか。(若尾龍彦)
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