
週末に「こう楽」の従業員控え室に貼られた1枚の手紙が小東京の老舗飲食店の経営交代を正式に発表した。日本語から英語に翻訳された思慮深い文面はこうつづられていた。
「こう楽を徳田護(とくだ・まもる)さんに引き継いでいただくことになりました。(中略)こう楽の前オーナー山内宏が病で倒れてからは、皆さんもご存じの通り、(徳田さんは)こう楽を支え続けてくれ、私のずっと夢だったPOSシステム、サーバーロボットなどを導入してくれ、古いこう楽から新しいこう楽へと導いてくれました。(中略)私はこれからもこう楽の一員として護さんを支え、こう楽を盛り上げていくつもりです」
故山内宏さんの妻山内三保子さんが書いたこの手紙には、所有権の移転が亡き夫の希望であったこと、そして徳田氏と協力して働いた結果、彼女も徳田さんしかいないと確信したことなどが詳しく述べられていた。この小さな店の経営体制の変更を、同店を支える従業員に知らせるためだけに書かれた、「小東京の伝統的な小企業」の名にふさわしい誠意に満ちた手紙だった。
私は中小企業コンサルタントとしてこの3年間、こう楽の歴史を学び、書類を作成し、同店が数十件の中小企業補助金に申請するのを支援してきた。だから申し分のない後継者選びに成功したこう楽の一里塚は、テープカットや祝賀会、記念の盾に値することと考えるが、実際にはこのような経営交代は知られざるうちに、小東京で何十年にもわたって継続的に行われている。

そんな中、老舗店の伝統を受け継ぐ「新しい」オーナーたちが、実際にはまったくの部外者ではないという例があることに私は注目する。こう楽だけでなく、「小東京フローリスト」や「スエヒロカフェ」、「ミスターラーメン」や、その他の数店がそうだ。新しい経営者は、若い頃から皿洗いやコックとして働いていた人もいれば、従業員だった人、地元住民、ボランティアとして長年コミュニティーに尽くしてきたという人もいる。家族経営の商売で家族の中に跡取りを見つけることがますます困難になる時代、中小企業の経営者たちは自分たちがサービスを提供しているコミュニティーの中から、自分たちが築いた実績の後継者を、自ら特定したと言える。部外者にとっては、新しい顔が突然に自分たちのお気に入りの地元の場所を引き継いだと感じるだけかもしれないが、経営者たちはビジネスを譲る決定に至る前に、潜在的な候補者を何年も注視して、交流し、信頼できる決定を行っている。
小東京フローリストの現在のオーナー水澤由佳さんは、早くも2017年には前オーナーのメアリー・オノウエさんから「いつになったら私の店を引き継いでくれるの?」と尋ねられたと、振り返る。かつて「クラガミ花店」と呼ばれていた小東京フローリストの常連客で、同じビルの3階にあるレストランのマネージャーを務めていた水澤さんは、長い間オノウエさんの目に留まっていたのだ。ほぼ毎日のようにおしゃべりし、2人は強い友情関係を築いていった。オノウエさんは多くの若い顧客や地元で働く人たちが小東京に熱意を持っていることも知っていたが、後継者には忍耐強く一貫して水澤さんを望んでいた。水澤さんとパートナーのマリナさんが21年初頭に正式に店を引き継いで以来、店はサービスと営業時間を一度も中断することなく業務を継続している。コロナ禍で不要不急のビジネスとして花店が課せられた制限を考えると、これは特に賞賛に値する。日系の寺社仏閣や文化行事のために複雑な和風のフラワーアレンジメントを用意できる花店の数は、南カリフォルニア全体でもほんの一握りにまで減ってしまっていることから、水澤さんが花店を引き継いだことは地域にとっては実に有意義なことである。

新しい経営者たちの共通点は、彼らは前経営者と比べて技量はまだ及ばないかもしれないが、前経営者と同じ価値観を持っているということだ。価値観が同じなら、他のことは全て、後から学ぶことができる。彼らにはサービスを提供するコミュニティーに対する、明確な献身と配慮がある。だからレガシービジネス(老舗店)の経営者によって厳選されたのだ。彼らは小東京のレガシービジネスが象徴するディアスポラ(日系移民から派生した文化)を大切にしているだけでなく、これらのビジネスで長年働いている従業員や、日本にルーツを持つ米国の一員として、そのビジネスが由来する文化を尊重することができる新しい経営者だ。
ようやく引き継ぐ準備が整い、(自発的であれ、突然であれ)事業を手放すまでに、彼らはすでに何年もかけて次世代へつなぐ準備をしている。スエヒロカフェの故鈴木順子さんが01年に、最終的に息子のケンジさんに事業を引き継いだ時、彼女の助言はたった一言、「台無しにしないように」だった。だがケンジさんにとってはそれで十分だった。なぜなら、鈴木さんは歴史ある小東京地区でビジネスを成功させるにはどうすればよいかを、すでに息子に示してきていたからだ。
こう楽を引き継いだ、最も新しいレガシービジネス・オーナーである徳田護さんは、小東京に住む地元住民であるだけでなく、小東京の人気レストランだった「Fu-ga」(風雅)で10年近く働いており、またパンデミック前もパンデミック中も、地元の多くの中小レストランからコンサルタントとして相談を受け、信頼を得ていた。20年初めに山内宏さんから助けを求められた徳田さんは、コロナ禍の現場での役割にすぐに適応し、皿洗いから弁当詰め、中小企業補助金申請まで、こう楽のあらゆる業務をこなした。しかし最大の貢献は、夫から妻への非常に困難な所有権移転を通じて、亡くなったオーナーの宏さんとその家族をサポートしたことだ。現金のみでしか支払えず、WiFiもなく、営業は深夜まで。こんな時代遅れの食堂が長く続くことを想定していない新しい世界で、こう楽は営業を続けるのに苦労していた。徳田さんは店の管理を思慮深く進め、山内さん家族が困難な時期に私的なことに集中できる環境を提供した。宏さんはこう楽が未来に続くことを確信して安らかに亡くなったであろう。

私たちが選んだ家族であろうと、私たちのために選ばれた家族であろうと、ディアスポラの伝統的な中小企業は、大企業やメルローズのブティックと同じ方法で後継者選びをすることはできない。責任は利益よりも重く、小東京に仕えるためにかぶる王冠は重く、スモールビジネスを引き継ぐには歴史上最悪とも呼べる時期にもかかわらず、コミュニティーを愛する起業家たちが立ち上がっている。その偉大さに感動する。
私は常々、このような大きな経済的苦境と政治的混乱の時代に、スモールビジネスの所有権を手に入れようとするのは、無鉄砲なことだと思っている。それでも、カリフォルニアの他の地域と比較して、この地域で中小企業がどのように生き残り、繁栄しているかを観察すると、お気に入りの言葉の一つを思い出す。
「誰かに深く愛されると、力が与えられる。誰かを深く愛すると、勇気が与えられる」
小東京のレガシービジネスは、コミュニティーから大きな愛を受けている。だからこそ、次世代のオーナーたちは困難な挑戦に取り組む強さ、勇気、そして希望を持つことができた。私はそう結論付けている。
今後もコミュニティーが中小ビジネスへの支援を続けることを望んでやまない。
ロックリッジ真理子 鉄道、恐竜オタク、および中小企業に情熱を注ぐバイリンガルのコンサルタント。こう楽の麻婆豆腐丼がお気に入り。インスタグラム@LittleTokyoisOpen