ジージーと忙しくセミが鳴く声に、日本の夏を実感している。
 50年前のちょうど今ごろ、私は初めての出産を経験した。お腹が空いては泣き、おしっこをしては泣き、何の理由が無くとも泣く赤ん坊の傍らに張り付いて、飲むミルク量やうんちの様子に一喜一憂しながら夏を過ごした。
 セミの声を聞きながら50年後の今、同じことを繰り返している。今度は、百歳となった母の介護だ。ベッドで眠り続ける母の傍らで昼夜を過ごし、夜中も車椅子を押して何度もトイレへ通い、その食欲とお通じの有無に一喜一憂する日々。
 子どもはやがて首が座り、はいはいを始め、歩き出して成長し、張り付いての世話も無用となっていったが、母は逆を進みつつある。足が弱くなり今では車椅子に頼り、近頃は腕力も衰えてベッドから身を起こすのが難しくなりつつある。いつかその内に首も上がらなくなって生を終え、介護が終わりを迎えるとすると、方向は違うものの生まれることと死ぬことは良く似ていると思う。事故でもなく大病でもなく、運の良い幸せな終わり方だろう。
 私の日本の友人たちも、母親は97歳、98歳、103歳と、似たような年齢。子どもが手分けして介護をしているのも似た状況で、たまに連絡を取ると、愚痴や励ましの交換になる。そして結論はいつも、自分は精いっぱい頑張って親を介護するが、自分の子どもたちにはこの負担を掛けたくないというもの。
 米国では、人生の終末を施設で迎えることに抵抗が少ないように思える。かつて家族が代々同じ家に住んで親の面倒をみてきた日本も、子ども世代が同居しなくなるとやはり高齢者向けの施設が必要となってきた。私や友人の百歳前後の母親たちは、最期は自宅で家族にみとってもらうものと考える最後の世代なのだろう。
 現在、高齢者医療費増加を懸念する日本政府は、長期入院を施設代わりに利用されることを極力防ごうと、自宅介護を原則とする方針とか。要介護3と診断された母にも、週2回のリハビリと週2回のシャワーサービス、2週間に一度の医師の訪問診察があり、母もそれなりに忙しい毎日を送っている。「長く生きすぎた」と時には悔やみつつ。(楠瀬明子)

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