映画「釜石ラーメン物語」は、釜石でラーメン屋を営んでいた母が東日本大震災の津波で行方不明になり、音信不通になっていた娘が故郷に帰ってくるところから始まります。釜石ラーメンは、労働者が早く食べられるようにという配慮から細麺でできたしょうゆ味に特徴があります。病気で倒れた父の代わりに、最高のラーメンを作るために奮闘する姉妹の物語です。ラーメンの技術や奥深さというよりも、生きる希望や情熱を燃やす人々を描く映画なのだと感じました。
この映画を見て思い出した事がありました。東日本大震災から数カ月後、いつまでも壊滅的な状況に居ても立ってもいられず、東北行きのボランティアバスに乗り込み、泥だらけの民家を片付けるボランティアに行ったことです。床の上まで泥だらけの家の畳を剥がし、床を丁寧に水で洗い流しました。頻繁に起こる余震におびえながら、炎天下での作業を続けました。少しずつきれいになる自分の家を見ていた持ち主のおばあさんの顔が、少し明るくなったような気がしたのが心の支えになりました。
ですが、ほとんどの家は泥だらけのままで、やっても、やっても、終わりそうにない絶望感と疲労感が襲っていました。そんな時に気持ちを癒やしてくれるラーメン屋でもあれば良いのですが、あるのは東京から持ってきた冷えた弁当だけでした。夜になると、宿舎で常連のボランティアが酒盛りを始めていました。そんな気分にはなれないので、布団をかぶって彼らの声をシャットダウンしました。
自分自身は東京に戻れば何不自由のない日常が待っているのですが、被災地では、レストランひとつない泥だらけの街での生活が続いていくのです。おばあさんは本当に救われたのか、正義を振りかざして災害地に乗り込んでおきながら、心の負債を空っぽの正義感で埋めようとしたのではないか、という思いにさいなまれました。
それでも、天災に人生を揺さぶられた人々は、何かに希望を見いだして生きていくしかありません。人々の心の中を温めるぬくもりが、今日を歩き始めようとする力になるのです。(アサクラ ユウマ)