このところ私が親しくしていた人が1人また1人と日本に帰っていきました。永住帰国です。単純に考えたら、それは生活圏が変わるだけのことですが、いわゆる「逆カルチャーショック」など、それによる精神面への影響は大きく、それだけに簡単に決められない問題であることは間違いありません。
 戦後渡米の人たちのうちの何パーセントほどが、終局的に日本に永住帰国しているのか分かりませんが、意外と少なくないかもしれないという気がします。日本にまだ家族がいる場合など、家族の世話をする、あるいは家族に世話してもらうということで、案外すんなりと永住帰国を決めることができる人もいるでしょう。しかし、おそらく多くの人にとっては、そう簡単に決められることではないだろうと思います。
 私も、米国での永住か日本への永住帰国かを折に触れしばしば考えてきました。どうするか。じっくりこの問題と向き合っていると、決められないでいる自分の中に、永住帰国への不安があるのが見えてきます。それは、自分に対する意識の持ち方が揺らぐのではないかという不安、つまり、自己同一性への不安です。帰国してしばらくたって、やっと少し落ち着いて自分に目が向いた時、いったい米国で何をしてきたのか、それをこの日本で生かすことができるのか、そんな自問に迫られるのではないかという不安。それと、長年の異国生活の中で変質を余儀なくされた価値観が、日本の暮らしの中で再び揺さぶられるのではないかという不安。
 実は先日、7年ぶりに1週間ほど日本に行ってきました。弟たちに会い、おいやめいに会い、その子どもたちに会い、そして墓参りをして。そんな時、だいぶ昔にオレゴン州ポートランドにいた俳人が詠んだ一句を思い出していました。親友か誰かが口にした言葉をそのまま句にしたものだと思われます。日本帰国が容易でなかった時代です。友人が帰国に際して俳人に伝えたかった覚悟。日本の人混みの中で、その覚悟をひしひしと感じている自分がありました。
 「行く春や日本へ死ににゆくといふ」(長島幸和)

Leave a comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です