
小東京の老舗和食店として知られる「スエヒロ」が、ロサンゼルスのダウンタウン歴史保存地区に新店「スエヒロカフェDTLA」を開店した。4番街とメイン通りにある築100年の歴史的建造物の天井は、小東京の「スエヒロカフェ」の店舗よりも3倍も高い。天井を見つめていた2代目オーナーの鈴木健司さんは亡き母が言うであろう言葉を呟いた。「高い。絶対に高すぎる」。
健司さんは母親の鈴木順子さんとおばの百合子・森田・レガートさんが創業した世代を超えて愛されるレストラン・スエヒロカフェの新店舗の内装について説明していた。1972年に順子さんとおばの百合子さんが2街にレストランを開店した時、居心地の良い雰囲気も欠かせない要素の一つだった。当初はふるさと日本の味を求める日本人ビジネスマンが訪れていたが、やがて手頃で満足のいく料理が食べられるといううわさが広まった。51年もの間スエヒロカフェは小東京の家庭料理の定番スポットだった。
多くの新規レストラン経営者と同様に、順子さんと百合子さんは事業を継続させるために大苦戦を強いられたが、その理由の一つにリスクの高い事業を営む移民2人組に地元の銀行が融資を渋ったことにあった。スエヒロカフェに幸運が訪れたのは80年代後半で、小東京の一等地・1街にあるビルを所有する夫妻が長期賃貸契約を持ちかけてきた。皿洗いを手伝っていた10歳の健司さんは「当時はまだ子どもで、オーナーだったスパール夫妻のことを知らなかった」と言う。「確か奥さんは小東京に住んでいて日本の文化をとても大切にしていた。でも息子さんは両親とは正反対だった」。その後、息子のアンソニー・スパールさんがスエヒロカフェの新しい大家になり、賃貸契約は10年以上前に切れたもののきちんと家賃を払い続ければ新しい賃貸契約を結ぶと保証した。
しかし昨年の春、スパールさんはロサンゼルス郡高等裁判所に小東京の人気スポットとして知られるスエヒロカフェの立ち退き通告書を提出した。「私たちは土地の所有者ではないしスパールさんに権利はあるが、30年以上あの場所にいて模範的なテナントだった。ビルのメンテナンスにも全力を尽くした。彼は文句を言うだけで何もしてくれなかったからだ。私たちの責任ではないのにあまりにも文句を言うから屋根のメンテナンスもやった」と健司さんは語った。やがて健司さんは家賃の小切手が換金されていないことに気付き始めたという。スパールさんは立ち退き訴訟でスエヒロカフェの家賃不払いを理由に挙げている。
「これはよくある戦略だ。小切手を現金化するつもりはない。つまり家賃を払っているにもかかわらず立ち退き訴訟を起こす」と健司さんの弁護を担当するクリフォード・ジュン弁護士はロサンゼルス・タイムズに語った。小東京から老舗店を追い出そうとするスパールさんの試みは、83年に当時警察官だったスペールさんがおもちゃのピストルを本物の銃と間違えて5歳の少年を射殺した事件を含め、新たな抗議の的になっている。健司さんはスパールさんの行動は小東京の不動産開発や新しいメトロ・リージョナル・コネクターの開通と関係があると考えている。資産価値が高騰する可能性は、従来の近隣ビジネスを追い出し小東京の様相を根本的に変えてしまう恐れがある環境を作り出している。健司さんによると、小東京でのメトロの計画が明らかになった2018年、スパールさんは小東京にマリファナ薬局の許可を申請した。

健司さんは「スパールさんは小東京をメルローズのような街並みしたいようだ」とし、立ち退きの動機が純粋に金銭的なものかどうかは分からないと述べた。「しかし、スパールさんが私たちを必要としていた時期に『スエヒロカフェ』がここに残ったのは偶然ではないと思う。1980年代後半から90年代前半にかけて日本経済が破綻し日本人観光客がいなくなり始めた頃、ちょうど暴動が起きて皆ガーデナやトーレンスの方に移動し始めた。当時小東京ではホームレスや車上荒らしが多発して本当に瀕死の状態だった」と健司さんは振り返る。「でも何人かは立ち上がった。沈みゆく船から飛び降りるネズミのようになりたくなかった。小東京を守ろうと防犯パトロールのグループを立ち上げた。しかし最近メトロの駅が開通したニュースが報道され物事がうまくいき始めると突如事態は急転した。小東京に日本人の影響力はもう必要ないということで私たちに対するスパールさんの態度が変わった。今のところ私が知っているのは、彼が自分のビルにこれ以上日系の恩恵は必要としないということだ。私たちはこれまでたくさん努力をしてきたのに、まさに顔に泥を塗られたような気分だ」と語った。
当初、10月1日がスエヒロカフェの最終日と発表されたが、健司さんと弁護団はなんとか猶予を得た。閉店は1カ月間延長され、さらに延長された。そして今回は最終日が決まっていない。そんな中、ハロウィーン前の平日のランチタイムは相変わらずのにぎわいで人気のランチセットを求める客でいっぱいだった。ちなみに、スエヒロのテイクアウト店舗「スエヒロ・ミニ」は2019年にチャイナタウンにオープンしている。
新店舗「スエヒロカフェDTLA」はグルメ天国として台頭しつつあるエリアの一角にある。ロサンゼルス通りのテラサキ武道館でバスケットボールのリーグ戦を観戦した後、食事をしたいチームや家族連れにとってこの店はスエヒロカフェよりも近いのだ。「スエヒロカフェDTLA」は1日、1カ月の試験営業を経て正式に開店した。客層は小東京とは明らかに異なり、この界隈の歴史的建造物に住み頻繁に外食をする若い住民が多い。「この場所を選んだ理由の一つは小東京に近かったことと、そして偶然にもスエヒロカフェの建物と同じように歴史的建造物だったことだ」と健司さんは説明した。「建築デザインも気に入った。現在8階建てのビルの1階に入居している。建物自体は以前は古い銀行だったと思う。スペースが広く風通しもいい新店舗だが、同時にスエヒロカフェのようなアットホームな雰囲気を出すように努力している」と話す健司さんは「お客さんの反応を見ていると方向性は間違っていないと思う。内装も気に入ってくれているようだ。少し高級感が増したように感じるが、何よりも『スエヒロカフェ』と寸分たがわぬ心地よい空間作りを大切にしている。」と語った。

新店舗で今後考えられる計画は角の歩道に面したエリアに抹茶バーを設けたり、地下の階段の踊り場で写真展を開いたり、メニューの食品サンプルを何らかの形で取り入れたりすることだという。
10月2日に行われたプレオープンのディナーに訪れたマイク・ムラセさんは「これこそ小東京の味。ただ食べるだけの場所ではない。ここを失ったらもっと大切なものを失うことになる」と語った。健司さんによると、スエヒロカフェを利用していたが、新店舗の近くに住んでいるためこちらを頻繁に利用するようになるだろうと話す客も少なくないという。「古いなじみのお客さんがたくさんいて本当にうれしい。新店舗といってもゼロから始めなければならないわけではないし、『スエヒロ』という人々に認知されるブランドがあるというメリットがある。それでも新規のお客さんの99%はスエヒロカフェのことを知らないかもしれないから、ビジネスを軌道に乗せなければならない。だから私は母がやっていたようにお客さん1人1人に向き合いたい。新しいお客さんが来たら話をしてここがどういう店なのかを説明し上質のサービスを提供したい。もちろん料理がおいしいのは当たり前だ」。新店舗のメニューは客の好みにも影響されるという。例えばベジタリアン向けのギョーザはスエヒロカフェよりも人気があるという。「ここでは肉以外のメニューが人気。スエヒロカフェから数ブロックしか離れていないのに客層がまったく違う」と健司さんは説明した。
健司さんは現在、新店舗の経営という骨の折れる仕事と、そしていまだ解決していない立ち退きの問題という困難、そして彼の人生における新たな道に明るい兆しを見出そうとしている。最終的にスエヒロカフェは立ち退くことになるだろうが、小東京の中心部に別の店舗を出すことを夢としている。おそらくそれは現在スエヒロカフェ付近にあるゴー・フォー・ブローク記念碑近くの開発区画内に出来るだろう。健司さんは「このひどい状況下でのゴールは、いずれ大家に『ありがとう。立ち退きのおかげで前よりもずっと良い方向に進めた』と言うこと。それが私が希望を持ち続けるために自分に言い聞かせることができる唯一のことかもしれない」と語った。スパールさんは地元メディアからの質問に一切回答していない。(マイキー・ヒラノ・カルロス)
