
日本語教育を支援し、日米の橋渡しを担う「オーロラ日本語奨学金基金(阿岸明子理事長)」が設立25周年を迎え、同基金名誉会長でシンガーソングライターのさだまさしさんを招いた記念ベネフィットコンサート(1月21日午後3時半、アラタニ劇場)を催す。25周年を祝うと同時に、本公演をもって基金設立時から手を携えた阿岸・さだの盟友が2人同時に勇退する。四半世紀にわたり力を尽くした集大成として、日系コミュニティーと支援者に感謝の気持ちを伝えフィナーレを飾る。 (永田 潤)

オーロラ奨学基金は、設立者で理事長を務める阿岸さんが日本語教師と日本語学習者を支援するための非営利団体として1998年に設立。基金運営の礎「バイリンガルの子どもたちがグローバルに活躍するためのリーダーを育成する教育プログラム」は、阿岸さんがかつてフルブライト奨学生としてUCLAで博士号を取得した際の卒業論文のテーマだった。設立から5年目にはプログラムの拡充を図り、日本と日本文化を愛し日本に行ってかなえたい夢を持つ人を支援する「チャレンジグラント」を新設した。
阿岸さんは、基金設立の25年前に日本のテレビコマーシャルを製作する会社「CEI(クリエイティブ・エンタープライズ・インターナショナル)」を創業した。王貞治、ハンク・アーロン、アーノルド・パーマー、ジャック・ニクラス、ディエゴ・マラドーナ、モハメッド・アリ、カール・ルイス、ローリング・ストーンズ、ジャネット・ジャクソン、ロジャー・ムーア、ブルック・シールズといったスーパースターを起用するなど業績好調だったが、「これまで社会に貢献する奉仕を何もしていなかったと感じた。フルブライトのおかげで渡米し勉強できたので、恩返しに日米の橋渡しをしようと思った。それがオーロラ設立のきっかけ」。
思い立ったものの、何から始めていいのか分からず、国際交流や国際ビジネスを専門に扱う南加日米協会、国際交流基金ロサンゼルス日本文化センター、JETROロサンゼルス事務所の3団体を訪れ、「今の日米交流・国際交流のトレンドは?」などと相談した。その中で当時、高校に日本語の授業を設置するプロジェクトを進めていた国際交流基金の辻所長から受けた「今は米国で日本語を学ぶ若者を育てることが求められている」というアドバイスが元高校英語教師の阿岸さんの心に響き、迷うことなく日本語教師と日本語学習者を支援することを決めたという。
夫充穂さんしのび「オーロラ」
さださん感銘、「極光」発表
基金の名の由来をよく尋ねられるという。阿岸さんの夫、故充穂(みつほ)さんは、米国立公園を主な舞台とする航空写真家だった。充穂さんは、著名な写真家でヨセミテ国立公園の四季折々の作品を代表作として数多く残したアンセル・アダムズさんとも親交があった。アダムズさんは若い充穂さんを「あなたの作品は個性的でダイナミックで、私の目線に近い」と褒め、充穂さんが写真集を出版した際は巻頭にメッセージをを寄せている。自然保護の考えもぴったりと一致していた。
不慮の事故で亡くなった充穂さんは、オーロラ撮影の草分けだったことから、さださんらの提案で「オーロラ」と名付けた。さださんは、充穂さんが残したオーロラの写真と阿岸さんから聞かされた充穂さんの活動に深く感銘を受けた。そして、充穂さんの写真集に触発されて作詞作曲し、楽曲「極光(オーロラ)」を完成させた。ヒット曲となったその詞には、充穂さんの活動の様子や夫妻の出会いがつづられている。さださんは基金の公演では必ず「極光」を演奏している。
日本とのつながりは財産
受賞者の教師間で情報交換も

オーロラ基金には2種類の奨学金がある。日本語教師と日本語を学ぶ大学院生を対象とした奨学金と、日本文化や芸術、文学、科学などの分野で日本を訪れてプロジェクトを実行する夢をかなえる「チャレンジグラント」の受賞者の数は、合わせて101人に上る。さらに毎春、「全米高校生日本語スピーチコンテスト」を主催し、優勝者を日本で夏休みに開かれる世界大会に派遣している。
奨学金の応募は米国在住者に限っているが、募集を基金のホームページに公開してからは、世界中から問い合わせがあるという。
訪日後に米国に戻った受賞者は、生きた日本語を学んで身に付けた実力と、日本で知り合った教師や教育機関とのつながりを財産としているという。また受賞した教師同士がさまざまな補助金を得るための情報などを交換しており、阿岸さんは「先生たちは自分たちが教えている学校で日本語のクラスを増やそうととても頑張っている。予算を削られる中で、日本語クラスの環境は厳しいが、先生は努力を続け、生徒が増えたという良い報告も聞いている」と、喜んでいる。
奨学金受賞経験者の多くが外国語教育の全米大会「ACTFL」に参加し、オーロラ基金から恩恵を受けて、日本語教育に役立てていることを発表している。また、それを知った他の教師との輪が広がっている。
日本語の授業を取る生徒は、元々日本のアニメやコンピューターゲームを好きな人が多く、日本語を学習することで、より日本や日本文化に興味を持つようになることが多いという。生徒は大学生や社会人になって日本に旅行に行ったりし親日家となる。「オーロラ基金の草の根活動は生徒を陰で支え日本と米国の交流を促進している」と、阿岸さんは語る。
日本で夢を実現させる手助け
チャレンジグラント
文化的な観点から創設
「日本に行かなければ実現できない夢をかなえる」—チャレンジグラントは、文化的な観点から創設された。その応募の種類は多岐にわたる。
阿岸さんは、チャレンジグラントについて「日本に行ってやりたいことがあるが、どうしていいのか分からない人が多い。グラントでチャンスを手にしたことで、挑戦するきっかけになる。そんな人たちのために、日本への橋を架けてあげる仕事をオーロラがやっている」と、活動の意義を説明する。

日本への興味や憧れ、趣味が転じて、グラントをきっかけにプロの道に進んだ例も多い。和太鼓の「鬼太鼓座」に入門しその後世界ツアーに参加したり、京都で藍染めを学んだ受賞者が師匠に認められ本格的に弟子入りした例もある。マンザナー元日系人収容所の日本庭園を再現するために砂漠で育つ植物の研究で京都を訪れコンベンションに参加し、大学教授や庭師に指導を仰いだことをプロジェクトに役立ている受賞者もいる。
一層日本を気に入りその後に何度も訪日したり、留学や就職を通じて定住したり、日本人と結婚して家庭を持つなどしている。受賞者は「卒業生」となって体験や成果を報告する。
「夢をかなえた人から『人生を変えてくれたグラントをありがとう』と感謝された時は、本当にうれしかった。まさに『ドリーム・カム・トゥルーの世界』だと感動した。学業の成績、職業、年齢を問わず、日本語が分からなくてもいい。日本語学習のための奨学金から幅を広げ、クリエーティブなグラントを作ることができた。小さなグラントだけどやってよかった」と喜んでいる。

トップアーティストが出演
活動の趣旨に賛同し協力
さださんとは、自身が経営するCEI社の関係で知り合った。阿岸さんは当時について「さださんは20代で、米国と米国人ミュージシャンに憧れを持っていた。誠実できれいな詩と曲を作り将来が有望なさださんを手伝いたいと思った」と振り返る。さださんが望んでいたロサンゼルスでのレコーディングを手配するなどし、親交は深まり家族ぐるみの付き合いになった。
さださんと基金設立について意見を交わし、1回目のコンサート出演を「お祝いに」と快諾された。公演後2人は他の理事と共に、「これからもずっと続けていこう」と固く誓った。阿岸さんは「でも、あれから25年も続くとは思わなかった。さださんは毎年、受賞者への祝辞と基金への激励のメッセージを寄せてくれている。ありがたい」と語る。

さださんは、基金設立の節目の年(10、15、20年)には記念公演として出演している。基金の公演には森山良子、加山雄三、イルカ、加藤登紀子、夏川りみ、布施明、ゴスペラーズ、秋川雅史、小椋佳、南こうせつ、ミッシェル・ベル、ツケメン、アンジェラ・アキ、由紀さおり、安田祥子、八代亜紀らトップアーティストが活動の趣旨に理解を示し協力した。出演者は皆、「日米交流と日系社会のためなら」と、さくらガーデンズ(旧敬老引退者ホーム)を慰問したり、奨学金授与式の祝賀夕食会で歌ったり、オークションにも参加している。阿岸さんは「限られた予算の中で、一流の歌手の皆さんに快く引き受けてもらい一生懸命歌ってくれ感謝している。さださんの信頼があるからこそ、皆さんが駆けつけてくれている。継続できるのは、アーティストの皆さんと、見に来てくれる当地のファン、オーロラの支援者のおかげ」と謝意を示す。
オーロラ基金はコロナ禍でも歩みを止めず活動を継続した。高校生日本語スピーチコンテストはオンラインで催した。そして、イベントの制限が緩和されるとすぐさまコンサートを再開させた。歌手を日本から招くことはまだ困難だったためニューヨークから日本人のジャズピアニストの海野雅威、翌年はオペラ歌手の田村麻子を呼んで成功を収めた。
極光物語—阿岸夫妻にささぐ
シンガーソングライター
さだまさし
ソロ歌手になった時、一番の夢はロサンゼルスでのレコーディングでした。僕はサイモン&ガーファンクルの名曲「明日に架ける橋」や「旧友」を編曲したジミー・ハスケルさんにとても憧れていました。少し図々しいと思ったけれども、ジミー・ハスケルさんのアレンジで、もしもラリー・ネヒテルさんのピアノで歌えたらどれほど幸せだろうと、いわゆる「ダメ元」でレコード会社にリクエストしたのです。ところが何とこの夢を実現してくださったのがコーディネーターとしてロサンゼルスで活躍中の阿岸明子さんでした。
1977年と78年の2年続けてロサンゼルスでレコーディングを行い、ジミーさんと制作した2枚のアルバムはどちらも日本でチャート1位を記録する大ヒットになりました。2023年のNHK紅白歌合戦で歌った「秋桜」もこの時のアルバムに入っています。

この時僕はロサンゼルスで運転免許証を取りました。まだまだのんびりとした大西部の田舎町といった趣が強くてフリーウエーでも渋滞などほとんどなかった当時のロサンゼルス。夜遅く、リトルトーキョーまで食事を取りに出かけてもとても安全で、僕はレコーディングの休日にレンタカーでメキシコまで走ったりしました。
実は野球ファンの僕はこの時にアナハイムのエンゼルスタジアムに2度ほど通いました。やがて大谷選手がここで活躍することなど当時は想像もしませんでしたが、お目当ては「カリフォルニア超特急」のノーラン・ライアン投手でした。残念ながら彼の投球は見られませんでしたが、当時のエンゼルスの左のエース、フランク・タナーナの快投を見ました。もちろんついでにディズニーランドやナッツベリーファーム、マジックマウンテンにも通いましたよ。
さてさて、明子さんの事務所はハリウッドにあり、毎朝そこで打ち合わせです。その時、明子さんの机の上に飾ってあった1枚のオーロラの写真があまりにも美しくて、僕は毎朝その写真を眺めては「この写真素晴らしいなあ」と毎日明子さんに言いました。たいがいの人は3回褒めると「じゃあげる」と言ってその写真をくれたりするのだけれど、明子さんは少し寂しそうな顔になって「そう? この写真が気に入った? でもね、訳があって今はあげられないの。でも、必ずいつかあげるからね」と言いました。その意味が分かったのはずっと後になってからでした。

その日から3年後のある日、突然明子さんから阿岸充穂さんの「大地の詩」という写真集が届きました。その本の中にあの明子さんの机を飾っていた美しいオーロラの写真が載っていました。そしてそこでその写真はオーロラ撮影中に不慮の事故で亡くなったご主人が撮影した作品であり、しかも大切な形見であったことを知ったのです。阿岸充穂という偉大な写真家が世界最初の「オーロラ写真家」であったことも。それから北海道の大学での2人の出会いからアメリカへ渡って苦労したことや、それでも自分の夢を追い続けた写真家の充穂さんと、一所懸命支え続けた明子さんの青春物語に感動した僕はたちまち「極光」という歌を作りました。余談ですが事故で早世された充穂さんの写真に憧れて写真家になったのがあの星野道夫さんでした。また現在大活躍中の松本紀生さんは、その星野さんに憧れて写真家になったそうです。こうして「極光」のバトンは今もつながっているのです。
明子さんとはその後、家族のようなお付き合いが続きましたが、今から26年前に明子さんから素晴らしい決心を打ち明けられました。それは彼女がフルブライト奨学金のおかげでアメリカで成功することができたから「そのお礼がしたい」という思いでした。「第2次大戦後、日本では日本人の英語教師が増えることで英語が日本人に浸透した。だから自分はアメリカ人の日本語教師を育成することでたくさんのアメリカ人に日本語を伝えたい。それが日米友好の本当の近道となり、日本への理解も進むはずだ」という覚悟でした。素晴らしい夢だ、と僕はただちに賛同し、財団のスタートと同時にお手伝いをすることになりました。それ以後、オーロラ基金は毎年日本への語学留学生を送り続け、日本語への理解を深める素晴らしい活動を続けてきました。僕はその間、およそ5年に1度、オーロラ基金の応援にロサンゼルスでコンサートをさせていただいて、今回が5回目になります。最初の時45歳だった僕もあっという間に70歳を超えてしまいました。おかげさまでまだ日本では毎年80ステージを超えるコンサートを行うほど元気で歌っていますが、明子さんの勇退に伴い、僕も一緒にお役を退くことになりました。ですが、この素晴らしいバトンが若い方々につながり、ますますオーロラ基金の活動が広がって行くのをお祈りしながら、また数年後に「歌いに来てよ!」と言っていただけるように頑張ります。
さてさて間もなくロサンゼルスでのコンサートです。皆さんぜひお出かけください。

公私共に全力投球
阿岸さん「リーダー育てる」
阿岸さんは、今後は会長として1〜2年、新理事と共に飯富崇生理事長代行をサポートする。「理事長を卒業し次のステージに移るが、隠居生活は考えていない。日米を行き来し、ボーダーレスでグローバルな活動がしたい。自分がまだ見たことのない世界を元気なうちに体験し、残りの人生を楽しみたい」と、今後も公私での全力投球を誓っている。
基金の活動については、「これからも発展できるように応援する。飯富さんを中心に若くて新しいアイデアを持った人たちが、自由に企画を立てて、日米の交流を促進し、両国の懸け橋となる日本語教師と日本語学習者、日本に憧れ夢を持つ人たちを助けてほしい」と切に願っている。
1月5日に85歳の誕生日を迎える阿岸さんは、今年の抱負を「まず、25周年のコンサートを成功させること。そして次のリーダーたちを育てて、自分も成長したい」と意欲的に語る。
21日に記念コンサート
さださん、昼食会と講演も
25周年記念のベネフィットコンサートは1月21日(日)午後3時から、小東京のアラタニ劇場で行う。チケットは全席指定で40、60、100、150ドルの4種類。40、60ドルの席は前売りの割引がある。オーロラ基金は、「さださんのラストコンサートなので、ぜひ来場してほしい。人気があるので、早めのチケット入手を」と、呼びかけていてる。

また、今年度の奨学金授与式を1月20日(土)午前10時から11時半までジャパンハウス・ロサンゼルス(6801 Hollywood Blvd.)で催す。奨学金受賞者と日本語スピーチコンテストの入賞者、国際親善大使賞受賞者(住山弘さんと故妙子さん夫妻、グレース柴さん)に対する授賞式を開く。また、さださんの「風に立つライオン基金」から招いた岡山県倉敷市で活動する8人にオーロラ基金から奨励賞を贈呈する。イベントには、一般も無料で参加できる。
さらに、記念イベントの一環として、時事通信社と共催し、同日正午から祝賀昼食会(懐石料理の「UKA」)と、さださんの講演会(さださんが数曲歌う)、オークション、パネルディスカッションを催す。イベントは、基金支援者を対象にした招待制。
コンサートのチケット購入はウェブサイト—
https://jaccc.org/events/
またはアラタニ劇場のボックスオフィス(水〜金曜午前11時から午後2時)か、オーラロ基金事務所にメールで問い合わせ—
aurorafoundation@usa.net
オーラロ基金のウェブサイト—
www.jlsf-aurora.org
