日本の経団連の会長さんが先日、選択的夫婦別姓制度の導入について「やるべきだ」との意見を発した。議論が始まったのはいつのこと? 私が初めて夫婦別姓の夢を描いたのは、若かりし1980年代のことだった。
 法務省によると、夫婦同姓を法律で義務付けている国は世界で日本のみだそうだ。一方、日本のお隣の韓国では妻が夫の姓を名乗ることができないと聞く。私はどちらも嫌だ。
 海外に住んでみると日本の当たり前が当たり前でなくなり、考え方の幅が広がる。そして、こちらの暮らしでは夫婦が別の姓でも困らない。だから日本で、別姓を禁止するのでも、強要するのでもなく、選択できるようにするなんて簡単なことのように思えたが、日本社会の壁は意外と強固だ。
 お察しの通り、私も結婚で名前が変わることに抵抗があった口だ。仕事上の不便とかではなく、それは主にアイデンティティーの問題だ。私の旧姓は「河野」。コウノと読む。それをローマ字で書くとTOMOKO KOHNOとなり、おしゃれに韻を踏んでいるところが気に入っていた。それなのに、美しい名前も、名付け時の字画の吉凶占いも、入籍でフイになった。ではなぜ離婚で姓を戻さなかったかといえば、第1に子どもと同じ姓でいたかったこと、第2に子どもを私の旧姓に変えることは、息子のKAIRA NAGAIという、これまた美しい韻を踏む名前を壊したくなかったこと、そして、その頃には私自身の成長(?)によって「名前なんて単なる記号よね」と思えたからだ。
 ところで私には心に温めてきた、取って置きのアイデアがある。日本では結婚すると家族の戸籍を出て新しい戸籍を作るのだから、いっそ結婚を機に2人とも姓を一新したらいいのではないだろうか? 新郎新婦の名を混ぜて、私の場合なら長野さんとか河井さん、あるいは2人で理想のキラキラ苗字を創作してもいい。夫婦で初めての共同作業、そして何より、公平だ。
 こんな「夫婦創姓」を提案する政治家は日本にはいないようだが、ちょっとググってみたら、米国では可能らしい。こういうところが、米国暮らしが性に合っていると思う小さなゆえんである。(長井智子)

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