【河野 洋】 ブラック・ライブス・マター、アジアンヘイト、パンデミック。近年、ニューヨークの地下鉄は治安が悪くなったと肌で感じる。危ない目に遭ったことはないものの、ホームレスや身の危険を感ぜずにはいられない挙動不審な人を見かけることも実に増えた。昨夜のことだった。深夜近く、ホームで地下鉄を待っていると、白人の女性が千鳥足で歩いてきた。右へよろめき、左へふらふら。ややもすればホームに落ちてしまうのでは、と側から見ている僕はヒヤヒヤしていた。
人生何が起こるか分からない、真っ直ぐ歩いていても石につまずくことだってあるし、悪天候で足元が悪ければ滑って転ぶことだってある。一寸先は闇なのだ。昨年、自転車に乗っていた知人が自動車にはねられ、ヘルメットもしていなかったこともあり、頭を強く打った。その後、54日間意識不明に陥る。九死に一生を得たものの、その長い間、どこをさまよっていたのだろう。酔っ払っていたわけでもないのに、不注意はなかっただろう。それでも事故は起こるのだ。
人間のすごいところは、その本人の意識が戻ったことだ。そしてリハビリを開始した。この奇跡的な復活を知り、僕は人間の生命力の強さと命の尊さを痛感した。事故なく、病気になるでもなく、健康に毎日暮らしている自分がいかに恵まれていて、どんなに幸せなのかと。日々、感謝の気持ちを忘れず、人のため、世のためになることを少しでもしていくことが、いかに大切なことか。
そんな知人の自転車事故の1カ月後、台湾人の友人に紹介された建築会社の男性としこたまお酒を飲み、笑い、大いに酔っ払った。その後、仕事につなげられそうだったので、電話やメールでやり取りもした。その6カ月後である。友人と会ったら「建築会社の人を覚えているか」と聞かれた。「もちろんだ」と答えると、その男性がビルの10階でエアコンの取り付けをしていて、足を滑らせ転落し、昏睡状態だという。
人生は綱渡りのようなものだ。足を踏み外せば、奈落の底が待っている。子どもの頃はよちよち歩き、大人になって人生に悩みよろめき、老いては、よろよろ歩く。命ある限り。(河野 洋)
