1932年7月、ロサンゼルスは地元で開催中のオリンピックで沸いていた。しかし、アメリカでは放送権料に関する合意に至らず、競技が国内向けにラジオ中継されることはなかった。新聞屋として速報を伝えるべく、加毎(加州毎日)は試合の行われるスタジアムからリトル東京のサンピドロ(サンペドロ)街にあるミツバ貿易商会に電話をかけ、毎日午後2時からその店頭で音声を流すことにした。加毎による有線放送の試みである。その模様は「店頭に集まった群衆は約700名、刻々と入り来るニュースに対して咸声をあげ或者は熱狂して、ラウドスピーカーに向って、声援するという熱心振りであった」(加毎1932年8月1日)と伝えられている。
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