ニューヨークで毎年6月に開催されるプライドパレードの一つ、クィーンズプライドに参加した矢部さん(中央)は、ドラアグの日本人参加者と一緒に記念写真に納まった

 6月、人気ミュージシャンの宇多田ヒカルが「ノンバイナリー」を公表した。日本では、この耳慣れない言葉をインターネットで検索する人が続出したようだ。私はレズビアンの娘の親で、ノンバイナリーの当事者ではない。だから、本来はこの話題について書く資格がないかもしれない。だが、ノンバイナリーの意味や米国での現状を、私の友人たちの体験をもとに発信することにも何らかの意義があると考え、思いきって筆をとることにした。
 人間は、男女いずれかのジェンダーに属するという見方を「性別二元論」という。ジェンダーとは、男女の性差に社会的・文化的な意味づけをしたもののことだ。日本でも米国でも、「人間は男女いずれかの性別(ジェンダー)に属する」と考える人が大多数だろう。

LGBTQの子どもを持つ家族の可視化を図るため、米国のみならず日本でも講演活動をこなしている矢部さん(右)。写真は、2032年に創立150周年を迎える母校早稲田大学の記念事業「Waseda Vision 150」に招待され、Okaeri LAの共同創始者マーシャ・アイズミさん(左下)と、NQAPIA(全米アジア太平洋諸島系クィア連盟)元事務局長グレン・マグパンタイさん(左上)と共に講演した時のもの。3人がそれぞれのテーマを指差し、矢部さんは「誰もが過ごしやすい社会に向け、ひとりひとりができること」をテーマに話を展開した。アイズミさんとともにLGBTQの子どもを持つ親としてプライドを持って登壇し熱弁をふるった

 ところが、自分はこうしたジェンダーの枠組みには当てはまらないと感じる人たちもいる。ノンバイナリーな人たちである。バイナリーは、日本語で「二進法」や「二元論」のこと。だからノンバイナリー(正式にはノンバイナリー・ジェンダー)は、「二元論に基づかないジェンダー」ということになる。「あなたは男? 女?」という問いに、ひと言で答えられない人たちのことだといえばわかりやすいだろうか。
 あるノンバイナリーな人は、自分のジェンダーには「男の部分も女の部分もある」と感じる。また別の人は、時によって「男」と「女」が入れ替わる。さらに、自分は男女どちらでもないと気付く人もいる。このように、ノンバイナリーは、既存のジェンダー概念に集約されない人たちの総称であり、当事者それぞれ定義が異なると考えるのが妥当だ。
 ちなみにジェンダーは社会が作るもので、生物学的な性別とは異なる。だが日本語では、ジェンダーも、性別を意味するセックスも「性」なので、しばしば混乱が生じてしまう。
 ノンバイナリーは、男女二元論に基づく、「男(女)はこうあるべき」的な価値の押し付けを否定するので、男(女)らしさが尊重される社会では評判が悪い。例えば、米国の原理主義キリスト教会は、「神が人を男と女に創造」という聖書の一節を用い、ノンバイナリーを否定している。そのため、伝統的な男女の役割分担を尊重する社会は、ノンバイナリーな人たちを無視したり、嘲笑(ちょうしょう)したりすることがある。そこから、深刻なヘイト犯罪につながっていく状況も生み出されてしまっている。

増えるノンバイナリー人口
 歴史のどの時点にあっても、ノンバイナリーな人たちは私たちと共にいた。その人たちにとって、100年前の社会が住みやすかったかどうかは分からない。ただ100年前、いや30年前に比べ、インターネットの登場により、ノンバイナリーに関して重要だがあまり目につきにくい情報も拡散されやすくなったことは、社会にとって大きなプラスだといえる。
 その結果、自分が男女二元論に当てはらまないことに気付き、ノンバイナリーを公表する人たちが増えている。UCLAウィリアムズ研究所は今年6月、自分をノンバイナリーと自覚する成人が、全米でおよそ120万人いるという調査結果を発表した。
 私は、ニューヨーク周辺の教育機関からの要請があれば、日本人家庭のLGBTQの子どもを持つ保護者と面談し、支援団体などの情報を提供している。2021年度上半期は、ノンバイナリー関連の問い合わせが6件あり、活動を始めた16年以来最多だった。これには、コロナ禍の引きこもり生活で、子どもを間近で観察したり、親子で話す時間が増えたりしたことが大いに影響していると思う。米国全体の傾向を考えると、日本人家庭の子どもたちがノンバイナリーと親に伝える機会がさらに増えると見ている。

人称代名詞は面倒か
 私のある白人の知人は、出生時に割り当てられた性別が男性で、30歳過ぎまで男性として生活していた。しかしある時、「本来の自分は女性」と、名前を変えスカートをはいて生活し始めた。ところがしばらくして、「完全に女性というわけではない自分」に気づきノンバイナリーを公表した。性自認は、時と共に変化する場合もあるのだ。今では、ひげ面に口紅がこの人のスタイルとなっている。
 私はこの人の家族から、「性別の自覚が変わると、名前や人称代名詞(she/her, he/him など)も変わるから面倒」と、愚痴(ぐち)を聞かされたことがある。でも私は、この家族が愚痴をこぼしながらも、当人の選ぶ人称代名詞を使おうと努力していることに、かえって感動した。
 私の友人たちは、故意でない人称代名詞の間違いは「仕方がない」とはいう。それでも、きっと心に小さなかすり傷がたくさんできているはずだ。もっとも、ノンバイナリーな人にとって一番つらいのは、自分が希望する人称代名詞を知っている人に、わざと間違った人称代名詞を使われることだという。
 10月第3水曜日は、人称代名詞の重要性を訴える「国際人称代名詞デー (International Pronouns Day)」だ。創始者は日系アメリカ人のシゲ・サクライさん。2017年、性別欄にノンバイナリーを表す「X」がついた免許証を、米国で最初に受け取った人でもある。
 そのサクライさんが強調するのが、「相手が望む人称代名詞の使用は、相手の尊厳を守る証し」ということだ。現在、多くのノンバイナリーな人が、theyを単数としても使うようになってきた。
 実はノンバイナリーな人たちは、ホルモン治療や性別移行手術などをせず、医療的に出生時に割り当てられた性別から自分が認識する性別へ移行しないことが多い。だから他人は、本人の自覚する性別を見かけで判断しにくい。それで、小売チェーン大手ターゲットでは、店員が名札に自分の人称代名詞を入れるシステムを導入している。店員がまず自分の人称代名詞を見せることで、目の前にいるかもしれないノンバイナリーな人たちに、自分が使ってほしい人称代名詞を申告するきっかけを作っているのだ。
 また、ニューヨーク市交通局が17年、車内放送の「レディース・アンド・ジェントルメン」を、性別のない「乗客の皆さん」に変えたのは、ノンバイナリーな人たちにとってはうれしいニュースだった。
 一方、中国系のノンバイナリーな友人は、「親には宇宙人扱いされている」という。
「この世の中は、結婚でも運転免許証でも、男か女かの性別で成り立っているよね。男でも女でもないとか、男でも女でもある人は、制度上は存在しないとされる。大陸から移民してきた私の親も、そんなことが自然にあるはずがないと思っている。私のことも、一時の気の迷いか、宇宙人に誘拐されて宇宙人になってしまったのかと、真面目に取り合ってくれない」
 と、保守的なアジア系移民家庭ならではの苦労話をしてくれた。

ノンバイナリーを認める重要性
共生社会の基礎「多様性」を育む

 日本には、ノンバイナリーと同様の概念を表す「Xジェンダー」という言葉がある。それなのに、なぜ宇多田ヒカルはノンバイナリーという日本ではなじみの薄い用語を使ったのだろう。ウェブ上で関連記事を片っ端から読んでいったが、答えは見つからなかった。ニューヨークで生活した経験のある宇多田にとって、英語の「ノンバイナリー」が自分を表すのに一番しっくり来た、ただそれだけのことだったかもしれない。
 でも宇多田のような有名人のおかげでこの言葉が一般社会に定着すれば、ノンバイナリーな人たちが宇宙人扱いされなくなるのかなと期待している。別にノンバイナリーの定義を、正確に覚える必要などない。そういうジェンダーを自覚する人たちの存在を認めることのほうが重要だ。自分と違うジェンダー観の存在も認めることが、生かし生かされる共生社会の基礎である「多様性」を育むことにつながるのではないだろうか。
 宇多田ファンのノンバイナリーな友人は、
「もともとノンバイナリーな歌詞を書いていたので、公表は意外ではなかった」
 という。宇多田のノンバイナリーな傾向に、以前からうすうす気づいていた人は少なくないようだ。では、自分のジェンダーを公表することで、どんな扉が開かれたのだろう。私が宇多田に望むのは、自分の存在をより正確に表現できる言葉を得たアーティストとして、性別二元論を超えた世界観を楽曲として発表することだ。それによって、「自分は独りじゃない」と勇気づけられる人が、どこかに必ずいるはずだから。


矢部 文(やべ・あや)
ロサンゼルスを拠点とする日系LGBTQ団体「Okaeri」の「Okaeri Connects!」日本語グループの共同ファシリテーター。レズビアンで既婚の娘の母親。日本人を含むアジア系LGBTQ当事者とその家族を可視化することで、彼らの存在が当たり前と受け止められる社会づくりを目指して活動中。ニューヨーク在住。

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