私が最近アメリカ人と交わす会話では、日本に関する話題として、日本で起きた未曾有の大災害については減ってきたが、代わって日本の政局に関する疑問発言が目立つようになった。
 一般にこちらの新聞、テレビニュースなどで日本の政治が大きく取り上げられることはあまりなく、ましてや政治家の名前が話題になることはめったにないが、私に話しかけてくれる人が日本通なのか、それとも日本人の私が相手なのであえてそんな話題を選んでくれるのかも知れない。
 大震災や原発事故で大変なときに日本はどうして総理大臣を替えねばならないのかと質問されるたびに、私は答えに窮している。
 私の乏しい英語力ではとても日本の政局の現状を説明できないだけでなく、一般人の常識を超えた永田町の論理は私にも理解不能だからだ。菅首相が昨年6月に民主党の代表に選ばれ、組閣したとき、首相は「挙党一致」、「ノーサイド」を標榜したはずだ。
 「ノーサイド」とはラグビーの試合終了だそうで、ここでは戦い(代表選挙)が終われば敵味方なしという意味であり、心を一つにして難局を乗り切ろうという意味のはずだ。特に災害復興を敵・味方なく一緒にがんばろうということで、首相はこの言葉を記者会見で何度も使っていたのを覚えている。
 政治の世界だから、野党との対立はある程度やむをえないとしても、与党内部でノーサイド状態にならないとはどういうことだろう。
 数日前、日本から送られてきたレンタルDVD(たけしのTVタックル)を見ていたら、計画的避難区域に指定され、村ごと大移動が余儀なくされた福島県飯館村の村長さんは、6月2日の内閣不信任案について「不信任案決議などまったく興味はない」と国会を無視した発言をしていたのが印象的だった。
 そして体育館の避難民の人々は異口同音に「住む家も生活も着るものも食べるものもない。そんなことをやっている暇があったら、私たちの生活をなんとかしてほしい」と訴えていた。
 政治家は内輪もめをやめ、国家百年の計のため有事の今こそ力を注いでいただきたいものだ。【河合将介】

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