30年前、家内は日本から1冊の絵本を持って渡米した。本の題名は「りんごが食べたいねずみくん」、作者はなかえよしをと絵を担当する上野紀子。なんともシンプルな絵本だ。
 ハードカバーの立派な表紙で、右のページに文、左のページに絵が描いてある。ページの真ん中にドーンと太いりんごの木の幹が上方に伸び、幹の先はぺージの外に突き出てしまっている。ページ上部にかろうじて左右に張った下枝が二本。そこに幾つかの赤いりんご。
 「とりくん やって きて、りんごを ひとつ、とりました。」
 「ぼくにも、つばさが、あったらなあ」
 「さるくん やって きて、りんごを ひとつ、とりました」
 というシンプルさ。文字は各ページごとにたったの3行。絵はユニークだが簡素で色は最低限の鉛筆画。はじめは「えっ、これで絵本になるの?」と驚いた。
 11月のはじめ、市民会館で「かわさき読書の日のつどい」にこの作者ご夫妻を招いて講演会が開かれた。なかえよしを氏はずっとこのスタイルで絵本を作り続けている。
 彼は「絵本は子供の想像力をかきたてるもの、詳細な説明やカラフルな絵は想像力を限定してしまう。如何にシンプルにして想像の余地を残すかに工夫をした」と語った。そういえば子供は板切れ一枚で船や飛行機を想像し、枯れ枝一本で大木を、林や森や山を想像して遊ぶ。
 映像のビデオはやがて飽きるが、音楽や本は何度でも繰り返し楽しめる。絵本が文や鮮やかな色彩で限定されなければ人間の想像はどこまでも広がってゆく。
 プレゼンの神様・アップルのスティーブ・ジョブズは、如何にシンプルに自分のメッセージを印象付けるかに腐心した。
 画面に出すのは最小限の写真や文字、舞台も、服装も、照明も、登場の仕方から間の取り方まで、人々の想像をかきたて自分のメッセージを強烈に植えつけた。空間も、時間も、想像を誘う余白こそ最も雄弁なメッセージなのだ。【若尾龍彦】

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